世界のすべての宗教が、なぜ信じること、しっかりと、完全に、情熱的に信じることを主張するのか、自問したことがありますか?おそらく、彼らには疑念があり、正当な理由があります。少しインテリジェントな調査を行うと、結局、彼らの基盤はそれほど堅固に見えないかもしれません。

 

 「誰も私に「ローズフラワーを信じますか?」と尋ねる必要はありません。ローズフラワーが存在するか存在しないかがわかります。信じる必要があるのは事実ではなくフィクションだけです。神はその最大のフィクションです。人が創造した。それゆえ、あなたは彼を信じなければならない。」 osho

 

:**************************************

Oshoの言うことはとても深いものだと思います。

それは彼の著書を読んだことのある人なら分かると思います。

彼は「Courage 勇気」 」において以下のように語っていました。

 

神は人ではなく、究極の至福感であり、究極の安心感であり、「私はこの世界に属している、そしてこの世界は私に属している」という究極の感覚なのだ。

神を知ることができるのは内なる感覚によってだ。

                             OSHO

 

 

私にとって神は「信じる」「信じない」というものではなはありません。

それは、自分の内に「在るもの」であり「存在」ではないのです。

これはか「感覚」であり「外側」に見出すものではありません。

 

私はこの動画を見て、OSHOは「花」や「太陽」と同じように当然に「在るもの」として「神」を感じているのではないか、そしてそれは、OSHOにとって「神はフィクションではない」ということなんだろうと私は解釈しました。