交感するということを、まとまらない頭で考えてみる。
今週は、学校でNarrative Based Medicineについて学んでます。
「Narrative = ものがたり」と訳され、
「NBM = ものがたりに基づく医療」となるでしょうか。
個人的にはNarrativeの訳はひらがなでの表記が一番ピッタリくるなぁ。
storyが、1人の人間が主に時系列に沿ってまとめあげる話だとした時、
Narrativeは、聞き手が目の前に居る場での語りという側面が強いため、
対話の中で変化していく話だと言うことができるでしょう(多分)。
よって、僕の認識で言えば、story= 物語/Narrative = ものがたり。
僕自身NBMについてまともに勉強したことはないんですが、
表現のフィールドから多くのことを学んできている気がします。
表現者と鑑賞者の関係性を考えると、
共通するところはあまりにも多いんですよね。
ステージに立っている人はわかるでしょう。
如何に客のリアクションによって、自分の表現が変化しうるか。
また、どう表現することで客のリアクションを変えていけるか。
それは決して1人で完結することのないセッションなんですよね。
客の側も、自分のその場の感情を何らかの形で表明していれば、
その時彼/彼女は表現者となっているわけです。
DJなんてその最たるもので、
「曲をかける→その場の空気を読む→選曲する→曲をかける」
この繰り返しなので、まさに客とのセッション。
そこは、まさしくものがたりを紡ぎあって1つの空気を形成する、
Narrativeに基づいた空間と言うこともできるでしょう。
North Powersでつっちと一緒にやったワークショップも、
今から考えればそこを一番の主眼にしていたものでした。
(当日の様子はこちら で見ることができます)
自分が感じたことをいろんな形で表現すること。
それは決して難しいことではなく、誰だってできるということ。
そこで、自分の内に無意識に潜んでいたことに気付いたり、
他の人の表現との共通点や差異を感じること。
そこでの発見は、何よりこころが動く楽しいものであること‥‥
企画者の僕らにこそ大きな感動があったことからも、
決して間違っていなかったなーと、今でもしみじみ感じますね。
僕らのやったワークショップでは、
表現手法を絵や音、動きなどのNon-vervalなものを使っていましたが、
医療の現場では「語り」が大きな表現手法になってきます。
でも、これって本当に身近な環境全てにあてはまるものなんですよね。
誰かの相談を聞いている時なんてまさしくその通りでしょう。
言ってみれば、普段の生活から学ぶことのできる領域なんですよね。
話し手としても、聞き手としても、誰でも経験があると思います。
ただ、実際の現場では専門家としての立場が付加されるわけなので、
大学の中でNBMの授業が組まれることには大きな意味があるでしょう。
実際、専門家として話を聞くために何が必要になってくるか。
先生方の体験談を聞くことや、自分たちでロールプレイをすることで、
正確で深い知識がなければ相手に応えられないことを痛感しますし、
今自分たちがしなければならないことを見つめさせてくれます。
その一方、ものがたりを紡ぐ対話というのは、
繰り返しになるけれども、本当に誰でも、いつでもできること。
日常の場面で「これを医療に置き換えたら?」と考えてみる。
ちょっとの場面変換をすることで、
感じ方のバリエーションは無限に広がる。
そのことをもっと強調してくれれば、
学生のモチベーションももっと上がる気がしましたね。
なんとなく「特別なことじゃない」とは感じていたけど、
その訓練に特別な時間や場面が必要じゃないということを、
言葉として提示されることで意識は全然変わってくると感じます。
明日は、その辺りもちょっと期待。
最近は疲れもたまりやすいけど、うれしいこともちょこちょこ。
昨日は、高校時代の友人が出張で札幌に来てて、
久しぶりに2人でメシを食ってきました、
24になった今の、変化した目線と変わらない目線。
思うこと多々ありですね。
もうひとつ、僕のメッセージを含め、
たくさんの気持ちに自分のやり方で応えてくれたあなた。
そんなあなたが、僕は大好きなのです。
今度ゆっくり時間つくろうや。ねぇ。
「Narrative = ものがたり」と訳され、
「NBM = ものがたりに基づく医療」となるでしょうか。
個人的にはNarrativeの訳はひらがなでの表記が一番ピッタリくるなぁ。
storyが、1人の人間が主に時系列に沿ってまとめあげる話だとした時、
Narrativeは、聞き手が目の前に居る場での語りという側面が強いため、
対話の中で変化していく話だと言うことができるでしょう(多分)。
よって、僕の認識で言えば、story= 物語/Narrative = ものがたり。
僕自身NBMについてまともに勉強したことはないんですが、
表現のフィールドから多くのことを学んできている気がします。
表現者と鑑賞者の関係性を考えると、
共通するところはあまりにも多いんですよね。
ステージに立っている人はわかるでしょう。
如何に客のリアクションによって、自分の表現が変化しうるか。
また、どう表現することで客のリアクションを変えていけるか。
それは決して1人で完結することのないセッションなんですよね。
客の側も、自分のその場の感情を何らかの形で表明していれば、
その時彼/彼女は表現者となっているわけです。
DJなんてその最たるもので、
「曲をかける→その場の空気を読む→選曲する→曲をかける」
この繰り返しなので、まさに客とのセッション。
そこは、まさしくものがたりを紡ぎあって1つの空気を形成する、
Narrativeに基づいた空間と言うこともできるでしょう。
North Powersでつっちと一緒にやったワークショップも、
今から考えればそこを一番の主眼にしていたものでした。
(当日の様子はこちら で見ることができます)
自分が感じたことをいろんな形で表現すること。
それは決して難しいことではなく、誰だってできるということ。
そこで、自分の内に無意識に潜んでいたことに気付いたり、
他の人の表現との共通点や差異を感じること。
そこでの発見は、何よりこころが動く楽しいものであること‥‥
企画者の僕らにこそ大きな感動があったことからも、
決して間違っていなかったなーと、今でもしみじみ感じますね。
僕らのやったワークショップでは、
表現手法を絵や音、動きなどのNon-vervalなものを使っていましたが、
医療の現場では「語り」が大きな表現手法になってきます。
でも、これって本当に身近な環境全てにあてはまるものなんですよね。
誰かの相談を聞いている時なんてまさしくその通りでしょう。
言ってみれば、普段の生活から学ぶことのできる領域なんですよね。
話し手としても、聞き手としても、誰でも経験があると思います。
ただ、実際の現場では専門家としての立場が付加されるわけなので、
大学の中でNBMの授業が組まれることには大きな意味があるでしょう。
実際、専門家として話を聞くために何が必要になってくるか。
先生方の体験談を聞くことや、自分たちでロールプレイをすることで、
正確で深い知識がなければ相手に応えられないことを痛感しますし、
今自分たちがしなければならないことを見つめさせてくれます。
その一方、ものがたりを紡ぐ対話というのは、
繰り返しになるけれども、本当に誰でも、いつでもできること。
日常の場面で「これを医療に置き換えたら?」と考えてみる。
ちょっとの場面変換をすることで、
感じ方のバリエーションは無限に広がる。
そのことをもっと強調してくれれば、
学生のモチベーションももっと上がる気がしましたね。
なんとなく「特別なことじゃない」とは感じていたけど、
その訓練に特別な時間や場面が必要じゃないということを、
言葉として提示されることで意識は全然変わってくると感じます。
明日は、その辺りもちょっと期待。
最近は疲れもたまりやすいけど、うれしいこともちょこちょこ。
昨日は、高校時代の友人が出張で札幌に来てて、
久しぶりに2人でメシを食ってきました、
24になった今の、変化した目線と変わらない目線。
思うこと多々ありですね。
もうひとつ、僕のメッセージを含め、
たくさんの気持ちに自分のやり方で応えてくれたあなた。
そんなあなたが、僕は大好きなのです。
今度ゆっくり時間つくろうや。ねぇ。