Darknight・Prom NTRC特撮軍団長・ヤラセロウ大元帥のブログ

当ブログでも指摘したのだが、左翼反日系がその死を悼み、哀悼の意を表する政治家にはろくなのがいない。元自民党総裁・河野洋平が亡くなった。享年89歳、死因は膵臓ガンとのことである。

 

T京S聞は河野洋平について「『ハト派保守』を貫いた信念の政治家だった。」「信念の根には、アジアへの思いがあった。」「政界でハト派の影が薄い今だからこそ、信念を貫いた河野氏の傷害には、拍手を送りたい。」云々と賛辞を惜しまず、「テロ政党」も「ネタ元」で、

 

「大国が次々と戦争に手を染め、歯止めのない核軍拡が進み、時代は、力による正義とかいういかがわしい言葉がまかり通る帝国の世に逆戻りしたような感じです」

 

という、河野洋平が「眉毛のトンちゃん」のお別れの会で読み上げた式辞を引用、「保守政治家として貫いてきた信念。それは侵略戦争を美化し、劣化していく自民党の姿をあぶり出しています。」と褒めそやした。

 

では河野洋平は生前、アジアに思いを寄せて何をしたかと言えば、特亜三国への度を超した媚び諂いである。1980年、「C鮮S連(何のことやら全然分かりません・つボイの枝葉)」結成25周年記念行事に参加して

 

「(前略)新自由クラブを代表し、結成25周年を祝し、これかも皆様方が強い団結と、敬愛する金日成主席の指導の下、理想達成のため、続けて献身されることを願い、それらの運動に、私たちがともに肩を並べて歩み、行動していくことを約束し、お祝いの言葉といたします。」

 

と祝辞を送り、1993年、南恨国政府と気脈を通じて所謂「河野談話」を発表、石原慎太郎・橋下徹・松原仁・安倍晋三等の批判を浴びたが、

 

「『昔はどこの国でも(慰安婦は)いたんだよ』と発言するのは卑怯です。スピード違反で捕まった人が、『ほかの人もやってるじゃないか』と自分の罪を認めず、開き直る態度に似ている」

「河野談話以降の日韓関係は非常に良好だったじゃないですか」

 

と居直った。他にも在日南恨国人・徐龍達が推進していた「外国人教員任用法」成立に藤波孝生・森喜朗等と尽力、拉致問題解決をそっちのけにしてシャルル国へのコメ支援を行う等、何処の国の政治家だか分からん行動に励んだが、1995年、東南アジア諸国会議に出席した際、搭乗していた飛行機が台湾に緊急着陸したが、大華国外交部長・喬冠華に「私は台湾の空港で一歩も外に出ませんでした」と述べたこと、2001年、台湾前総統・李登輝への入国ビザ発行に反対したことから「江の傭兵」という不名誉この上ない蔑称を奉られることになった。それでも懲りない河野洋平は2006年、天皇皇后両陛下御臨席の「全国戦没者追悼式」で「戦争を主導した当時の指導者たちの責任をあいまいにしてはならない」と戦争責任論に言及、翌年の「全国戦没者追悼式」でも「日本軍の一部による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いの気持ちを申し上げたいと思います」と、天皇皇后両陛下・戦没者遺族が居並ぶ中で言ってのけ、安倍晋三の「靖国神社参拝」についても「まったく評価しない。今やるべきでないことをやっている」と批判した。

 

所謂「戦争と植民地支配」の問題について、「日本側がまず謙虚な姿勢で臨んでいくべき」と語り、近隣諸国との友好に尽くしたつもりで、結局下げなくてもいい頭を下げただけの河野洋平。だからこそ南恨国も大華国も哀悼の意を示した。しかし、良識も常識もある国民は、声を大にして言わねばならない。

 

「別に惜しいとは思いません」と。