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電子書籍DE古典文法⓵ 古文の基礎~用言(動詞・形容詞・形容動詞)/作者不明
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ある人が言うには、それぞれの芸道や家職の家に生まれた者はもとより、

そうでない者たちも、その身分に応じて才芸を備える必要がある。

なかでも家名を引き継いだ者で、才芸が不足し、その家名を継がない者がいる。

才芸の家に生れた者でなくても、才芸によって道を極めるという徳もあり、

家名を継ぐため、才芸を極めるために、ともに励むべきである。

別に誰彼となく混じっているときは、その差は分からないが、

才芸を身につけることにより召し出されもするし、

また仲間同士で遊んでいる時でも、周りの人より勝れ目だったりもする。

そんな時何事につけても、才芸のある人が行えば、才芸のない人が行うのと比べて、

雲泥の差があるように思われ、人目にも素晴らしく映るのである。

容貌も良く身分も高い人であっても、身分が低くても能にたけた人と立ち並べば、

その高い身分も美しい容貌も色あせてしまい、無視されてしまうものである。

例えるならば、桜の花の周りの常緑樹は興醒めなものに思われるけれども、

春過ぎて秋の嵐が過ぎて後は、常緑の緑ばかりが残っていて、

一時の仮の匂いなどは残っていないのと同じようなものである。

されば、「桃李は一旦の栄花、松樹は千年の貞木なり」と言われているのである。

身分も容貌も大変素晴らしいのに才芸のない人は、一人でいる場ですら、

能豊かな人のことを思い出させるものである。

まして、能芸の達者な人と並んだ時の差は大変なものである。

なかでも世の中が移り変わっていく様は、昔より次第に衰えていくにつれて、

道々の才芸も、父祖に及びがたくなるものならば、藍よりも青からんことは稀なことであり、

形ばかりであっても、父祖の業を継ごうとしないのは残念なことである。