こんにちは さちたびブログです
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さて、前回から長岡花火について取り上げていますが、
今回は私たち、さちたびメンバーが
一般財団法人 長岡花火財団 常務理事 広瀬弘之さん
にインタビューした内容についてお伝えしたいと思います!!
ご協力いただいた広瀬さんをはじめ、
長岡花火財団の皆さん
ありがとうございました!
長岡花火 インタビュー
長岡花火の歴史について
花火大会が開始されたのは明治12年9月14,15日です。
しかし文献上ではそれよりも前、江戸時代の文政4年(1821年)、3寸から7寸の花火を打ち上げたとの記録があります。文献が記されているということはそれよりも前から花火は打ち上げられていたのかもしれませんが、証拠がないため、この年の花火が長岡の一番古い花火だとされています。
長岡花火は昭和20年の長岡空襲や平成16年の新潟県中越地震の
犠牲者を慰霊する花火として認知されていると思います。
そのため、私たちは、花火の起源は
空襲の後だと思っていました。
しかし、実際には花火の歴史は江戸時代にまで遡っていたのです
江戸時代、花火の素となる黒色火薬の輸入によって、当時の花火はのろしの役割を担っていました。煙や音によって「合図」などの情報の手段として利用されていたそうです。
その後の明治12年の花火大会開始では、千手町八幡様のお祭りとして350発の花火が打ち上げられました。
花火を「のろし」として利用していたとは驚きです
記録上では平成10年に2日間で51万人がご来場されています。
その後、震災までの5年間で60~70万人台、
震災翌年のフェニックスが打ち上げられた年には80万人越え、
平成26年には100万人を超えました。
フェニックスとは新潟県中越地震の
復興の願いが込められた復興祈願花火です。
長岡花火の代名詞の1つとしても広く知られています。
戦後復興慰霊の花火として打ち上げてきましたが、当時はこれだけじゃダメだと感じていました。「花火大会のクオリティをあげなきゃ」「花火の質だけでなく、大会の運営も」。事故があったら二度と花火はあげられません。
全ての要素で花火大会の質を上げようという行動が人を増やした要因になったのかもしれません。
平成13年の明石花火大会のような事故を起こさない。
「全てにおいて安全で楽しめる花火大会を」
このような考えで取った行動が後の
「長岡花火」というブランド向上に繋がったのです。
毎年、現地やテレビで観ていた長岡花火ですが、
こんなにも深い歴史があったのだと初めて知ることができました。
また、長岡市には、
「道の駅 ながおか花火館」という
もっと深く長岡花火について知りたい、
体感したいという方向けの施設もあります。
ぜひ、行ってみてください
今回はここまで!
次回は復興祈願花火「フェニックス」に込められる想いや
3年ぶりとなった長岡花火に対する想いなどについて
ご紹介したいと思います!
次回もお楽しみに!!
まぐろくん
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