忍術 その歴史と忍者(奥瀬平七郎) | トオルのブログ

忍術 その歴史と忍者(奥瀬平七郎)

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飯田橋の文教堂書店で、”発見”!


このお庭番の鬼門は、何といっても薩摩の国の島津藩だった。薩摩へ行った隠密は十人のうち一人くらいしか帰ってこないというのは隠密の常識で、さすが手練れの伊賀忍者もこの九州の雄藩に潜入するのには、たいへんな苦労をしたらしい。


ところが、ここに面白いことに、何人かの伊賀者が何代かにわたって薩摩へ行き、殺されたり、捕らえられたり、無事脱出したりしているうちに、いつの間にか薩摩でも幕府を見習って、”お庭番制度”をつくりあげたことだ。


・・・・薩摩は怖いでごわすな!


日本で最初に間者を用いた人は、聖徳太子である。太子は伊賀の国人、大伴細人を側間として用いたといわれている。


中略


側近の間、大伴細人に「志能便」という日本風の命名をした太子は、『孫子』の用間の意も深く理解されていたにちがいないのである。


太子は仏教徒であって、闘争を好まれなかったし、一生を通じて戦火にあわれることがなかった。したがって太子は、細人を諜者として使われたが、謀者として使われたことはなかったようである。


・・・・なんと!聖徳太子だったのですね!


一読すると、ビックリ!なんと、江戸からTokyoになっても、伊賀者、甲賀者、根来者の子孫は、警察畑で、刑事、探偵の仕事に従事するものが多かったのだとか!


そんな忍者ギョーカイ(?)の興味をもったヒトは、下記をどうぞ!


にんにん物語(いしいひさいち)

http://ameblo.jp/ntoru/entry-10425751313.html


戸隠流忍法資料館(戸隠)

http://ameblo.jp/ntoru/entry-10373157693.html