心があまりに綺麗な人は、接していて疲れてしまう。
醜さを持っていない者が、他者に寛容であれるはずがない。
善と悪との要素の2つを持ってこそ、優しくあれるのではないか。
自己嫌悪も、ほどほどにしておけ。
同じ弱さを持つ他者を許す思いやりに化けるかも知れないのだから。
棚にあげてしまう型の人間はどうしようもないけれど。
…これは、自分に言い聞かせているのか?
社会に出て必要になるのは優しさよりも処世術。
優しさを他者からもらえることは、ほとんどなくなるだろう。
優しさはもらっているからあげられるもの。
大人になって冷たくなっていく人を見て悲しい気持ちになることはあれど、それは道理。
夢見がちなのかな…。
たくさんの優しさをもらった。
もらった優しさは別の人にあげる。
その連鎖で温かな世の中になったらどんなに素敵なことだろう。
甚だおかしい。
実際の世の中は冷たさの連鎖で回っている。
私だって人に冷たく当たられた後は、他人に優しくできている自信がない。
生まれたときは、誰もが何も持っていなかったはず。
けれど、親から優しさをもらう。
ときには他人からも。
もらった優しさは、どこへ行ってしまったのだろう?
消えたわけではないはずでしょう。
けれど、世の中は冷たさの連鎖で回っていることが多い。
それは諦めてしまうから。
優しさが届かないこと、自分が損をした気持ちに負けて。
冷たい人がいたとして、冷たく生まれついたわけではないはずだ。
ただ凍えて…
久しくもらっていない温かさは自分の中から逃げていく。
もらった温かさは自分を甘やかすためではなく、また別の人にあげるために。
そのためにあるんじゃないのか。