「世界は残酷」…耳にタコができるほど聞き続けてきたつもりが
聞き流し、感じようとはせずに逃げ続けていただけだった。
愛犬の遺体は、残酷に柔らかかった。
抱きかかえると、ふわりとした体毛の感触と共に首が垂れ下がった。
まるで狩られて食肉加工される直前のウサギのように。
いかに大切にしてきても、最後はまるで狩られた獣のような無惨さを残して。
愛犬の遺体の後頭部に手を添えることばかり意識したのは、現実からの逃避だった。
火葬までの3日間、腐敗を防ぐため暖房のない部屋に愛犬を安置し、ずっと隣にいた。
眠っているようにしか見えず、体をなで続けても動かない。
遺体の肛門から黄色い液体が出ていた。
母は「綿が詰まってるけど腸も一緒に引っ張ってしまって取れない」と、愛犬の遺体の腸の内壁を傷つけるような動きをしていた。
遺体を可哀想に思い、
私が代わりにゴム手袋をつけて片手で尻尾をつかみ、開いた肛門から黄色い塊を見て数秒でつまみ出した。
なんて冷酷なのだろうと思った。
母はきっと、遺体の肛門内部を冷静に直視できずに手間取ったのに。
すぐに新しい綿を入れた。
あれだけ可愛がった愛犬を【遺体扱い】した。
父が亡くなった際、遺体のエンゼルケアをしたのは看護師で、どこか他人事だったのだろう。
自分の手で愛犬の遺体に処置した瞬間から痛みは消えないが、だからこそ変わったことは大きい。
残酷なことをした罪悪感も消えない。
残酷さで愛犬の遺体を最後まで美しく保ったことは皮肉でも、
それを強さに変えて進む覚悟すら今まで持ち合わせていなかったことに気付いた。
他者にどう接するかは、自分の中の冷酷さや悪意をどう消化できるかでもある。
どんなに心が痛んでも、優しくあれるならば。
愛犬の亡骸を傷つけずに済んだのなら、その冷酷さを振り返らない。
たとえ心の痛みは止まらなくても。