2005年、予備校の精鋭寮で知り合った。
当時の私はまだ、中学時代にイジメで不登校になった後遺症や、高校時代ただ成績で目立ったら暴力を受けて人間が嫌いになってしまったこともあり、
人と目を合わせることもできなかった。
2011年の藪の中のAは、ひたすら他人に背中を向ける私にいつも明るい声で名前を呼んで、振り返ると笑顔があった。
寮の食堂が大嫌いだった。
だから、一番隅の席で壁と向き合って一人で食べていた。
そんな私を見つけるとAは
とても温かい口調で「一緒に食べよう」と…
当時の私は無口を通り越して何も話さない、一緒に食事をしても楽しいはずはなかったのに。
いつも、いつも、私に無条件に笑顔を向けてくれた。
その笑顔はまた、温かかった。
いつからか、私は目を合わせられるようになっていた。
休みの日、一緒に自習室へ出かけた。
自転車置き場から自転車に乗って、自転車のまま階段を下ったら、段差が広かったのか盛大に宙に浮き驚いて「うわわわわわわ!」と私が大声をあげたのを見て、
Aは長い間笑いが止まらなくなっていた。
とても空が綺麗で、陽射しに不思議な温かさを感じた日。
温かい陽射しに照らされたAの笑顔は、何年経っても昨日のような光景で
…
記憶が消えればいいのに。
私はすっかり別人になったのに。
当時感じた温かさの感覚が刻み込まれて
どんなに私の何もかもが変わっても消えてくれない。
温かさを知り、失った。
急激に冷え込んで
けれども…。
…
2007年、Aは私の住む県の大学の医学科に入学した。
すぐに「会いたい」とメールをくれた。
………社交辞令?
都合の良い日程を聞いて返信が一切こないまま3年は過ぎた。
ただの一言「忙しくて」とも言わず。
ただ最後のメールは
「会いたかったよ」。
その他に、Aは私に本心から会いたかったのに私が疑ったことでいかに傷ついたか、何か…色々と感情が爆発して取り乱した文面を綴っていたけれど
思い出せない。
ただ「会いたかった」が本心だということだけが伝わって、心が痛んで
そして「さようなら」と。
「会いたかった」と「さようなら」を同時に。
…
何年か後に、Facebookという、人の心を貧しくする文明の皮肉が浸透していた。
そこで見たものは
私が一日15時間前後、食事時間を削り勉強に追われ倒れていた時期、そうしながらAが元気か心配してメールをしていたような時期に、
Aが遊び回っていた記録。
一言の返信すらせずに、お祭り三昧。
…わからない。
気持ちの余裕と時間の余裕は違う、だから一言の返信は時間どうこうじゃない。
そんなことはわかってる、新しい環境で精神的余裕をなくして、一言の時間はあれど一言の精神的余裕を失っていたのだと解釈していた。
けれども…
なんだあれは?
あらゆる県の祭り、旅行、新しい環境を満喫して笑って
どうして「会いたかった」と言いながら、3年ほどメールに一切の返信もせずに、
私が倒れるまで追い詰められて遊ぶだとか笑うだとかそんな暇も余裕もない一方で
遊びほうけて、挙げ句の果てに私を「会いたかったのに理解してくれなかった」と責める資格があったのか?
…さようなら。
2005年に感じた温かさは、消えないけれども。