島根に「伝説のサッカーチーム」を創る男の挑戦 -16ページ目

島根に「伝説のサッカーチーム」を創る男の挑戦

島根県民70万人から愛される、日本初のソシオを成功させる、その名も「伝説のサッカーチーム」。
そのチームを創るため、30年間生まれ育った東京を離れ縁もゆかりもない島根で挑戦する男の伝説達成までの軌跡をこのブログを通して紹介する。

明後日の試合はNHKで放送があります

のど自慢の後ですね☆

それを告知した所、
多くの方に反応いただきました

ただ、

私は映りません。。。

きっと・・・

主役は選手達です


以前、私とコーチを勘違いされた方がいましたが、、、
似てるのは頭だけ・・・

それは私ではありませんのでご注意を


婆ちゃん、たくさんの人に見送られたそうな
よかったよ・・
今朝の山陰中央新報に
私の写真がでかでかと・・・
今までコメントが記事で載ったりしましたが、
ここまではっきりと写った写真が載ったのは初めて

うれしいです☆

今週はあまり良い事がないので
今日の出来事は色々と気分転換になりました

だんだん
94W杯の決勝、PK戦の時に解説の加茂周が
イタリアのバレージが外した後に発した有名な言葉

「連鎖反応」

・・・

先日の追突事故に続き、ショックなことが起きました。
負は連鎖するとよく言われていますが、ものの見事に舞い込んできます。

今朝、母方の母(自分の祖母)が旅立ちました。

朝、母親から連絡があった時は何故だか祖母が死んだことは察知できました。
それは、今日の夢
なぜか体が重く感じ、(意識はあったが目は開けてない)
その後、山形弁で語りかけられ(何と言われたかは不明)
自分が「んだんだ」というと体が軽くなりました。
婆ちゃんが最後に挨拶に来てくれたのかな~と

霊感は全くありませんが、
何故か今日だけは違いましたわ

母の実家は山形です。
小さい頃の夏休みの楽しみは山形へ遊びに行くことでした。
夏だけでなく、冬も蔵王にスキーへ行くなどで中学生くらいまではほぼ毎年のように行ってましたね。
だいぶ前の事なので記憶も曖昧ですが、当時でも今の島根より栄えていたのは覚えています(嘘)

高校生になってからは記憶にあるのは爺ちゃんの葬式くらいかな・・・

それでも島根までモノを送ってくれたり
いつも心配してくれていた婆ちゃん

隣のトトロに出てくるお婆ちゃんのような容姿で、、
いつも優しかった

90歳オーバー、
よー長生きしましたわ
お疲れさんです。。。


葬儀は明後日とその次の日
最後のお別れに・・よりも両親ともにいなくなった母親が心配・・
山形までの道のりを調べはした

、、、けど今回は行かない

日曜には戻ってこなきゃだからバタバタする
余裕持って来年のお盆辺りに墓参りに行くことにした

とりあえず今日の飯は
小さい頃婆ちゃんとよく食べた焼き鳥を食うのだ