モモモトモモト(旧NTMatsudo)の長文

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国旗損壊罪について、どちらかというとそういう自由があった方がいいのではないかと思うのですが 要は、国民のために国旗を護る心は正しいけど政治批判のための罰則なき表現手段も大事なので、今後の日本の国民の幸福につながるのはどちらか、ということです。

 

まあ確かに、外国人や外国(人)に利する意見を言う人が日本の国旗(日章旗)を汚したり、壊したりすることを想像したら日本人としてはかなり不快になるのが普通でしょう。更に、これに外国国章損壊罪によって外国の国旗の破壊が許されないことを加味した「日本国内では外国人は日本の国旗を壊せるが、日本人はその外国人の国の国旗を壊せない」状態は不平等だと感じるのが当然だと思うのですよね。

 

現在、世界には沢山の国家がある。それらの国家がまとまったりしないのは、分かれたままで自治を行ったほうが幸福だと思っているからで、それは各国・各国民によって価値判断が異なる結果だと言えるでしょう。国旗の破壊からその価値判断のまとまりの否定を連想するのは不自然ではありません。外国の国旗の損壊を禁じているのは、その行為による外交問題を防ぐためなのですが、その結果として価値判断のまとまりを否定する手段については日本人より外国人のほうが自由度がある。つまり、日本人自身が、国家によって不利な立場に置かれていているわけです。

 

外国でも自国旗の破壊を禁止しているところも多く、そして、禁止されていることによる不都合が起こっていないように見える。同様に、日本も国旗の破壊を禁止したぐらいでは、おそらくしばらくは大した問題は起きないだろう、とは思うのです。

 

ただ、その一方でこうも考えています。国旗の破壊については、不快であっても今のところ実害はないはずで、不快による制限はおそらくきりがない。自分の好きな表現であっても、不快な人が多ければそれは存在まで否定されるべきものなのだろうか。それなら、他の「その表現を求めている少数者」のための表現と同じく、国旗を破壊する表現もその存在自体の消滅は避けるべきではないだろうかと。

 

ここで確認しておきたいのが、そもそも日の丸で表象されるものは何か、単に国家や国民や国民の価値判断のまとまりだけではなく、もう少し具体的に何なのか、ということです。

 

日本全体を非難する言葉として思い出したのが「保育園落ちた日本死ね」で、これが2016年。「さぁ俺を殺せ。日本。」というのもあって、これが2005年。前者はユーキャン新語・流行語大賞のトップ10になり、後者は大型掲示板「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」でよく見かけたもので、どちらも日本に対する怒りが込められた文章ですが、その対象が日の丸で表されるかというと保育園のほうは違う気がするし、「さぁ俺を殺せ。日本。」も「愛国心」という言葉が出てきているものの、話題が企業社会のほうに移ってきているのでどうも合わない気がします。

 

もう少し日の丸を否定したようなマークが使われている場面をネットで探してみると、どうやら2009年の反天皇連のデモや、2025年7月の日本人ファーストを掲げた参政党に対する抗議で使われたようです。なお、今回のこの話はその参政党に対する抗議活動が切っ掛けとなり、同党がその年の10月に日本国国章損壊罪についての刑法改正案を提出したのがその経緯だと言えます。

 

(参考記事)

参政党、国旗損壊を罰する刑法改正案提出 自維に協力呼びかけへ 2025年10月27日 朝日新聞

「日の丸にバツ印」掲げた大学生 あいまいな国旗損壊罪に「怖い」2025年12月8日 毎日新聞

 

つまり、日の丸の否定はそんなに頻繁に使われているわけではなく、先のデモや抗議についても国旗(の否定)を用いる必然性が感じられないので、国旗の破壊を禁止してもすぐ困ることはないだろうと思えるのです。なお、参政党に対する抗議に関しては、6月9日に自民党が「バツ印を付けた国旗を演説会場に持ち込んで振る抗議活動は処罰の対象外になる」見解を参政党に伝達した、との報が入ってきました。

 

ただ、今後、日の丸を否定することで意思表示をしたい事態が絶対ないか、絶対来ないかと言われるとさすがにそう言い切る自信はないわけで。

 

今は参政党が衆議院でそこそこ議席をとっていて(全465議席中15議席、2026年6月13日現在 )、そして天皇(制)に対して今よりも寄りかかるような憲法案を示しています。第一章第一条3に「天皇は、国民の幸せを祈る神聖な存在(5)として侵してはならない。 (5)神聖は君主の属性でもあり、皇祖皇宗の神霊と一体として詔勅を発し、祭祀を主宰する事実による。」とあり、これが通ればおそらく天皇(制)への批判や、批判につながる表現は許されなくなるだろうし、そのような絶対的ともいえる存在を置くのは相対的にその存在以外の価値を下位に置くことになり許容できないから、そのような状況と制度を支える国家に対しては、何らかの反対の意を示すかもしれない。

 

また、遠い将来に渡って圧政などのために「国旗を破壊することでしか表現できない心情」が多数の国民に賛意をもって迎えられる事態がないとも言い切れないので、そのためにも意思表明の手段として国旗を破壊する自由を残しておいたほうが良さそうな気がするのです。政府がこれからもずっと、ひどく非難されないような国家運営ができるか。あと、国民に国旗破壊という強い政権批判の表現を禁じることで、その分国家運営が今よりも国民を意識しない方向にいくのではないか。そういったことも懸念しているところです。

 

以上が主だった理由なのですが、もう少し考えてみたいことがあります。後々への影響です。

 

現時点(6/14)では、保護法益は「国旗を大切に思う国民感情」であり、「人に著しく不快または嫌悪の情を催させるような方法・状態」で「自ら公然と損壊、除去または汚損する行為」が罰則の対象となっています。損壊が許されなくなった国旗は、ある意味聖地だと言ってもいいでしょう。となると、皇族の肖像や菊花紋章、その他日本の伝統を体現したような聖地の周辺のような存在について「人に著しく不快または嫌悪の情を催させる」と裁判所によって判断された表現もそのうち禁止され、それらを批判する手段を失うのではないか、そのように禁止される表現が次第に増加し、批判のための表現の幅が狭まるのではないか、少々心配してます。

 

ここで伝統について考えてみるならば、日本には神話を始めとした長い伝統があり、これは、国民の精神の支えとなり、規範などの価値観の基になっている部分があるのも確かで、そのせいか、俗な言い方をするなら伝統には一定の人気があると言える。しかし、現代は誰もがその伝統以外の価値観も同時に持ち合わせて日々の生活を送っているのだと思います。さて、国家が伝統を絶対的な存在としたらどうなるか。伝統に対する批判が許されなくなるだけではなく、伝統以外の価値観、伝統からはみ出た部分も存在が否定されるのではないか、そんな事態も起こり得るかもしれないと考えています。伝統は人気があり、価値観の近さから国民に対する求心力が強い。それ故に、伝統以外をないがしろにしやすくなるのではないか、とも思うのです。伝統は、民族と深く結びついています。ドイツでは、2026年4月の報道では極右と評されるAfd(ドイツのための選択肢)の支持率が政党1位の28%になったとのことで、それほど民族の概念が芯となる政党と政策は浸透しやすい。伝統、民族の強調にはどうしても警戒してしまいます。

 

なお、その「伝統」は政権(の人間の価値観)にとって都合のいい部分を歴史の事象から抜き出されて一種の編集が行われ、作り出される可能性があることにも留意するべきでしょう。

 

さらに、国家が絶対的だと定めたその伝統を支えることで、「その伝統を支える国家、つまり国家を運営する政権を批判することは伝統を批判することと同じく許されないことである」といった理屈が出てきかねない、そんなことも考えています。その結果、批判的な表現を欲する者には窮屈な世の中になるかもしれない。今回の件、国旗の破壊で留まるか否か。法案が通ったか通らなかったかに限らず、この件は引き続き注視が必要だと感じています。

 

そして、今の日本国民は国旗の破壊を罪とする外国よりも政権批判の(手段、表現の)自由があるので、そのような国々よりも政権を批判することができる……と書いたところで気が付いたのですが、この記事は、私自身が政治、政党、議員に対して強く信用していないことの表れなのではないかと思えてきました。特に、数十年以上を想定した場合、これからも国民を無視した政治を行うことはないと言うのには躊躇するわけです。だから逆に、政治に対して信頼している人がこの法案に反対しないのも理にかなっていると思っています。

 

国旗の破壊禁止については、肯定側にも否定側にも相応の理由があるので「どちらかというと」という言い方による判断にならざるを得ないと思います。言い換えれば、後々までそうなった場合、国民全般が幸せだといえるのはどちらか、ということです。これは外国についても同じで、自国の国旗の破壊禁止による不都合が起こっていないように見えるものの、それらの国の国民は、本当にその許されない分幸せなのか、不幸なのか。できることなら知りたいものです。そして最後に、今回の件、国旗の破壊禁止に限らず、政策の採用・不採用による国民全般の幸福、利益を判定する際には、特に弱者保護の面から「救われない人を産み出さないのはどちらか」といった視点は忘れないようにしたいと思いました。

 

この記事は何か思いついたことがあったら書き足します。とりあえず以上です。

 

 

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今回はこの曲をどうぞ。
 
 

 

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