日本海軍は太平洋戦争開戦時、艦隊護衛用の一等駆逐艦130隻を保有していた、(--〆)😠🤬👿。これらの駆逐艦は水上戦闘や魚雷戦に特化したもので艦隊決戦に先立って米軍主力艦隊に雷撃を加えて米艦隊の主力艦を減少させることが主任務だった、(--〆)😠👿🤬。
しかし現実には日米の艦隊決戦などは起こらずに駆逐艦は艦隊や船団の護衛、輸送、対潜戦、対空戦とあらゆる戦闘の矢面に立って激闘を繰り広げた、(--〆)😠🤬👿。特にガダルカナル島攻防戦では飛行場砲撃、艦隊護衛、人員物資輸送などに酷使されて多数が沈没、または損傷して健全な駆逐艦は40隻ほどになり艦隊護衛にも事欠く有り様だった、(ーー゛)😅👿。
そこで海軍は砲力、魚雷戦力を減少させて対空戦、対潜戦能力を強化したそれまでの艦隊駆逐艦よりも小型の駆逐艦を量産することを決定した、😇😉😅。基準排水量は1250トン、12.7センチ高角砲単装、連装各1基、53センチ4連装魚雷発射管1基、速力28ノット弱の駆逐艦を設計した、😇😉😅。
この艦の特徴は機関の配置をそれまでの並列配置からシフト配置に改めて被害を受けた際に一気に推進力を失わないよう配慮したことだった、😇😅😉。最初の松型は電気溶接によるブロック建造は行われなかったが、後期建造の改松型では全電気溶接のブロック建造となっている、😇😉😅👿。また艦の名前は松、梅、竹、桜、槙、欅、椎など樹木🪵の名前がつけられたため雑木林などと揶揄されたりもした、(^_^;)😇😅。
しかし対空戦、対潜戦能力を強化したこと、推進機関のシフト配置を行って生存性を高めたこと、艦の曲線部分をなくして強度のかからない部分は軟鋼を用いるなど資材の節約と価格減少、建造期間の短縮に配慮したことなど戦時急造艦にしては合理的な駆逐艦だったが、速力が低い、航続距離が短い、12.7センチ高角砲には高射装置がなく精度の高い対空射撃ができない、対水上戦能力が低いなどのマイナス点もあったが、量産と建造期間の短縮のために我慢した駆逐艦ではあった、(^_^;)😅😇。
松型駆逐艦は戦争後半に艦隊や船団の護衛、輸送などに酷使されて敗戦後も多数が復員輸送に使用されて最後は連合国に賠償艦として引き渡された、(ーー゛)😅👿。ただ米軍機の攻撃で沈没していた松型の「梨」が引き上げられたが、船体の状況が良好ということで改装修理されて海上自衛隊の護衛艦わかばとして使用された、(^_^;)😅😇。この艦の機関は徹底的に整備されたが、それでも騒音が極めて高く、また戦死者の幽霊👻が出るなどの怪談話もあったそうだ、(^_^;)😅👻。
松型駆逐艦は戦局が不利になった戦争後半に海軍を支えて活躍した合理的な駆逐艦ではあったが、建造されたのは改型を含めて32隻、防空駆逐艦秋月型が12隻(他に未完成艦1隻)、艦隊駆逐艦夕雲型が20隻で戦争中建造された駆逐艦は64隻だが、米軍は駆逐艦400隻以上、護衛駆逐艦400隻以上を建造していることからやはり工業力の貧弱な日本が戦ってはいけない国だったのだろう、(ーー゛)😅😇。