日本海軍に一式陸攻という双発の爆撃機があった、😇🛩️。昭和12年に試作が始まって開戦時に制式採用された、😇🛩️。当初三菱は4発爆撃機を提案したが、海軍は中島に深山という4発爆撃機を開発させていたので却下された、(^_^;)😅👿。
一式陸攻の特徴は長大な航続距離と軽快な運動性だが、その分爆弾搭載量は1トンと少なく初期の機体は搭乗員や燃料タンクの防御もされていなかった、(^_^;)😅👿。航続距離と爆弾搭載量、防御はどれを取るかの選択的取引きで海軍は長大な航続距離を選択した、😇🛩️。それは日本に来攻する米軍主力艦隊を遠距離で捕捉して雷撃で撃滅するためで当時の海軍は一式陸攻1個飛行隊が全滅しても米軍主力艦1隻を撃沈出来れば十分引き合うと考えていたのかもしれない、😇🛩️。
しかし搭乗員7〜8名の大型爆撃機が爆弾搭載量1トンというのは極めて効率が悪い、(^_^;)😇🛩️。また双発の陸攻に艦船に対する雷撃をさせたが、海軍はさらに97式大艇、二式大艇、深山、連山といった4発の大型機にも艦船に対する雷撃をさせようとしていたのだから艦隊決戦での主力艦の劣勢を何とかしようと四苦八苦していたのだろう、(ーー゛)😅👿。「敵が駒を取りに来なければ大型飛行艇の雷撃は名案だ」と皮肉を言った士官もいたとか、(^_^;)😅🛩️🔥。
一式陸攻は飛行性能や航続距離は群を抜いていたが、防御力が弱くて一撃で発火したことから「ワン・ショットライター」などと言われていたという、(^_^;)😅🛩️🔥。確かに防御力は弱かったが、それほど脆い機体ではなかったという、(--〆)😠🤬👿。燃料タンクの防御がないと言ってもガソリン⛽️は非常に発火しやすい燃料だが、気化して空気と混ざらないと発火しない、😇🛩️🔥。米軍が多用した12.7ミリ機銃ではなかなか撃墜ができなかったそうだし高高度爆撃ではその高速を活かして敵の戦闘機が来るまでに爆撃を終えて帰投したという、😇🛩️。また帰投した機体で燃料タンクに機銃弾で穴が開いた機体も多くてその修理は整備員泣かせだったそうだ、(^_^;)😇🛩️🕳️😇。
一式陸攻の被害が大きかったのは艦船雷撃の場合で5インチ砲や40ミリ機銃で多数が撃墜されたという、(--〆)😠🤬👿。運動性が良いと言ってもあのような大型機に雷撃をさせることに無理があった、(^_^;)😅🛩️🔥。また戦闘機の護衛のない爆撃では米軍のB17やB29でさえ大きな被害を出しているのであながち一式陸攻が飛び抜けて脆弱とも言えないだろう、(--〆)😠🤬👿。しかし戦争後半になると圧倒的な米軍の戦力の前に多少の防御力など意味をなさなくなってしまった、(--〆)😠🤬👿。
ただ爆弾搭載量はもう少し何とかならなかったかとも思う、(^_^;)😅🛩️。陸軍の爆撃機も爆弾搭載量が少ないが、陸軍は反復攻撃を考えていたそうなので搭載量が少ないんだそうだ、(^_^;)😅🛩️。しかし双発の爆撃機が米軍の単発機よりも搭載量が少ないのはちょっと考えものではある、(^_^;)😅🛩️。
海軍は一式陸攻の後継に双発の銀河🌌という爆撃機を就役させたが、誉エンジンのトラブルに加えて海軍航空廠の性能第一主義で生産性を考慮しない設計の極めて作りにくい機体だったことから最後まで一式陸攻は海軍爆撃機の主力として戦った、(--〆)😠👿🤬。そして搭乗員を誘導装置代わりに使った「桜花ロケット」を搭載して出撃して大きな被害を出したりもしている、(--〆)😠🤬👿。
一式陸攻は2千2百機が生産されて開戦時から敗戦まであらゆる戦闘に投入されて戦果も挙げたが、被害も大きかった、(--〆)😠👿🤬。攻撃一辺倒で設計された一式陸攻は良くも悪くも当時の日本海軍を象徴する爆撃機だった、(--〆)😠🤬👿🤬。