日本海軍と三菱重工が試作した日本海軍最後の艦上戦闘機烈風が話題になっている、👿😉🛩️。結果としては戦争に間に合わずに終わってしまった機体ではある、(-_-メ)。性能的にも駄作という意見もあるし傑作という意見もある、(・・?。仮に昭和19年後半に登場していれば米軍のF6Fには優勢だっただろうけど当時の主流は高速一撃離脱だったのでちょっと速度が足りない、(-_-メ)。
開発がうまくいかなかった原因は当時の日本では安定した戦闘機用の大馬力エンジンを作れなかったことと海軍が格闘性能にこだわって翼面荷重を下げ過ぎたことだろう、(・・;)😅。当時日本には戦闘機用の2千馬力級エンジンは三菱のハ43と中島の誉があったが、ハ43はまだ試作段階、誉は小型軽量を狙いすぎてトラブル続出で安定した性能を発揮できなかった、(ーー;)。
その原因は小型軽量大馬力を狙いすぎたエンジン自体にもあったが、当時の日本では高オクタンガソリンや高品質のオイルを製造できなかったこと、点火プラグやコード類の質が劣っていたこと、オイルシール技術のレベルが低くてオイル漏れが日常茶飯事だったこと、冶金技術が低くて高品質の金属部品が作れなかったことなど様々だが、要するに当時の日本の工業レベルが低かったのに小型軽量大馬力にこだわり過ぎたことが原因だった、(ーー;)。
また格闘性能にこだわった海軍のせいで翼が大きくなり過ぎて重量や抵抗が増加したのも性能低下に拍車をかけた、(ーー;)😅。この機体を翼面荷重170kg/㎡くらいで設計製造しておけば格闘性能は低下しただろうが、速度や上昇性能は向上しただろう、👿😇🛩️。
ただ戦争末期の日本の工業生産力は空襲と地震の被害でほとんど崩壊していたのでこの戦闘機を量産して戦線に投入することは不可能たっただろう、(ーー;)😅(・・;)。烈風の性能はグラマンF6Fよりは上、でも次のグラマンF8Fには速度などで劣るというところだろうか、(・・;)😅🛩️。また時代はジェット機✈に移りつつあったので烈風の活躍の期間は短かっただろう、(・・;)😅🛩️。それが当時の日本の工業技術力の限界だったのだろう、😣(;一_一)。
最近日本の工業技術力の劣化が話題になるが、技術は国を支えて富ませる、😉👿😇。コストパフォーマンスのために技術を犠牲にするようなことは避けなければいけない、(;一_一)。スマホ📱も米中韓に遅れを取っているというが、これもコストカットで技術を外注した結果だろう、(-_-メ)😠。官民合同で技術の劣化を防止して技術革新に努めてほしいものではある、😉👿😇。