日本陸軍は太平洋戦争を38式歩兵銃と99式歩兵銃の2種類の小銃で戦った、(○_○)!!👀‼️。本来小銃などの基本装備は統一すべきだが、貧乏陸軍💸😢👛にはそれができなかった、(○_○)!!👀‼️。銃の口径は38式が6.5ミリ、99式が7.7ミリだったのでそのために機関銃も2種類の口径のものが存在していた、(○_○)!!👀‼️。こうしたことは生産や補給に影響するのだが、陸海軍で規格を統一していた米軍に比べて日本軍は海軍と陸軍で異なる規格の機銃を使用したりしているなど工業生産力の貧弱な日本の生産現場に大きな負担を負わせている、(○_○)!!👀‼️。

 

陸軍もそのことは承知していただろうが、金がないのでどうにもならなかったのだろう、(○_○)!!👀‼️👿。そのために大陸の部隊は38式を、太平洋方面の部隊は99式をというように装備部隊を方面で分けていたそうだ、(○_○)!!👀‼️👿。しかし大陸の部隊が太平洋方面に転出されると補給などに混乱が生じたという、(○_○)!!👀‼️👿。

 

また当時の小銃は職人が微妙な調整をして製作するなど部品の規格化が行われていなかったので部品の共有化ができなかったという、(○_○)!!👀‼️👿。38式歩兵銃は明治38年制式の小銃でそのために「明治の小銃で昭和の戦争を戦った」などと揶揄されるが、ボルトアクションの小銃などは完成され尽くした武器でそれ以上の改良の余地はなかった、(○_○)!!👀‼️👿。米軍も開戦時は1903年制式の小銃を使用している、(⌒‐⌒)🙄🤔😇。またM2重機関銃などは1917年に制式化された機関銃だが、現在もこれ以上の機関銃ができずに西側世界で広く使用されている、(○_○)!!👀‼️👿。もちろん自衛隊でもライセンスで生産して使用している。

 

38式歩兵銃は口径が小さい分反動が小さく命中精度のいい銃で戦後米軍が押収したものが、一般に出回り現在もスポーツシューティングや狩猟に使用されていて弾丸も製造されているそうだ、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵😇👿。38式歩兵銃は340万丁、99式歩兵銃は250万丁が製造されているそうだ、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。戦後、警察予備隊発足時に99式小銃を米国規格の弾丸が使用できるように薬室を削り直したものが7万5千丁装備されたが、改造銃でトラブルが多かったそうだ、・・\(゜ロ\)(/ロ゜)/。

 

99式小銃も本来は高性能小銃だったが、戦争末期に製造されたものは粗悪品が多くこれを持ち帰って試験した米軍では粗悪銃と評価されているそうだ。また一般に流出した銃はスポーツシューティングや狩猟に使用されているそうだが、貫通力が大きく大型動物を即死させる威力があるという、・・\(゜ロ\)(/ロ゜)/。日本でも半自動小銃は試作されたが、弾薬の供給量が限界を超えるとの理由で正式化はされなかったという。またジャングルなどでの近接戦闘では米軍のM1半自動銃に撃ち負けることが頻発したという、・・(--)/===卍🌸。

 

結局日本は基本兵器の統一化や弾薬の統一化を果たせず多種多様な弾薬を製造するなど貧弱な工業生産力の足を引っ張ってしまった、・・(;一_一)。しかし38式小銃も99式小銃も銃器としては高性能だったのが唯一の救いではあった、・・(--〆)。

 

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