日本が対米戦争を決意したのも理由がなくもないが、どう考えても無理な決断だろう、(ーー;)(/o\)。戦争自体は日米の西太平洋とアジアの支配をかけた覇権戦争でどっちがいい悪いではないが、国力にあまりにも差がありすぎる、(ーー;)(/o\)🤔🙄。国土、人口、工業生産力、工業技術力、資源、どれを取っても桁違いで、何より日本は石油、屑鉄などの戦略物資を米国から買っていたし、航空機用エンジンやプロペラなどの航空機技術も米国から導入していた、(○_○)!!👀‼️✈️。特に高性能エンジンには必須のハイオクガソリンや化学合成オイルなどは日本では精製できず米国からの輸入に頼っていた、(○_○)!!👀‼️⛽。

 

海軍はこれまでの蓄積軍備で2年は何とかなると踏んでいたが、米国に勝てる目処はなかった、(○_○)!!👀‼️⛴️。陸軍は常識派の軍人は米国と戦っても勝てないと認識していたが、東條総理始め主戦派は「やってみなければ分からない」と対米戦には強気だった、(○_○)!!👀‼️。基本日米の開戦時の国力はどう贔屓目に見ても10対1以下だった、(○_○)!!👀‼️🏭️。日本は東南アジアの資源地帯を押さえて資源を確保する予定だったが、海軍は艦隊決戦主義で海上輸送路の保護などはほとんど考えてはいなかった、(○_○)!!👀‼️⛴️。考えても手が回らなかったのかもしれない、(ーー;)(/o\)🙄。陸軍の師団は火力量で米軍師団の1/3程度、戦車などの装甲車両の差は隔絶していて前線への物資輸送力も貧弱で「敵に糧を求める」などという考え方は絵空事レベルだった、(ーー;)(/o\)🙄。

 

開戦半年は綿密に準備したこともあって連戦連勝だったが、ガダルカナル島の飛行場を巡る争奪戦で日米両軍は四つに組んで激戦を繰り広げたが、その1年の戦闘で日本の国力は底をついて米国との間にどうにもならない戦力差が生じてしまい海軍が言った通り2年で日本の敗北が決定した、(--)/===卍(~_~;)。昭和19年から20年8月までの1年半は米軍に取っては日本の拠点を潰していく残敵掃討戦で互角の戦闘ではなかった、(ーー;)(~_~;)(/o\)。開戦当時の日本は世界不況から回復せずに経済的回復を中国大陸に求めていた、(--)/===卍(~_~;)。当時は公共投資なんて考え方は存在せずに利益を海外に求めた、(--)/===卍(~_~;)。

 

海軍の軍人の中には「軍艦を持っていって資源をぶん取るなんて海賊みたいなことはやめて軍艦を作る金で資源を買えばいい」などと今なら至極当然のことを言う人もいたが、当時はごく少数意見だった、(ーー;)(~_~;)(/o\)。仮に日本が対米協調路線を取って英米の仲介で中国と講和して大陸から撤兵すると共に対独戦に参戦していたらどうなっただろう、(--)/===卍(~_~;)。対独戦が終了すると日本も戦勝国で多少の利益を得るだろう。しかし朝鮮半島では独立戦争が始まってソ連の戦車などを押し立てて攻めて来られると相当に苦戦するだろう。最終的には米国から戦車などの供与を受けるが、どの辺りで停戦となるかは不明ではある。

 

次は中国の国共内戦だが、これは直接参戦することはないだろう。次はベトナムだが、これはかなり大規模な参戦を要求されるだろう。結局どうやっても日本が戦争に加担するのは避けられなかっただろうが、太平洋戦争はやるべきではなかっただろうしその必要もなかっただろう。何よりどうやっても勝てない戦争など意味がない。軍人にしてみれば何もせずに手を上げるのは耐えがたいことかもしれないが、相手が侵攻してくるような場合以外は戦うべきではないだろう。勝てる可能性がない戦争になだれ込んで行くというのはどのような心境なんだろうか。軍人としての意地なんだろうか。太平洋戦争はあえてやるべきではなかった戦いだろう、・・(一一")。

 

 

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