太平洋戦争当時の日本陸海軍の軍用機で活躍した機体は海軍の零戦、紫電改、雷電、97式艦攻、99艦爆、一式陸攻、天山、彩雲などいろいろあるし、陸軍も隼、疾風、飛燕、五式戦、飛龍、100式司偵、屠龍など様々な航空機が活躍していた、(⌒‐⌒)🛩️👿。
でもそんな機体の中でもっと注目されて活用されるべき機体があった、(○_○)!!👀‼️🛩️👿。それは二式単座戦闘機「鍾馗」だった、(⌒‐⌒)🛩️👿。この機体は陸軍が世界のすう勢は格闘戦の軽戦闘機ではなく高速一撃離脱の重戦闘機だとして中島飛行機に試作させた戦闘機だが、高出力のコンパクトなエンジンがなかったことから爆撃機用の直径の大きいエンジンを装備したために頭でっかちになって前方視界が悪かったというが、それでも速度は中島の努力の結果、時速600キロを超えて急降下速度も850キロを超えても機体はびくともしなかったという、(⌒‐⌒)🛩️👿。
緒戦で米軍のP40などと対戦したが、急降下の余勢を駆って時速700キロ以上の速度で旋回する二式単座戦闘機には米軍戦闘機は手も足も出なかったという、(⌒‐⌒)🛩️👿。その後エンジンをハ109に換装して武装を強化した機体が出ているが、B29の迎撃には高高度性能が不足していたという、(○_○)!!👀‼️🛩️👿。最後にはハ45を搭載した機体が試作されたが、四式戦が実用化されることから試作だけで開発は中止になっている、(○_○)!!👀‼️🛩️👿。
しかし後期の機体では速度は615キロを超えていたが、四式戦に注目が集まっていたことから当時主流になっていた推力式単排気管仕様も制作されず照準器も単眼式のものが装備されたという、(○_○)!!👀‼️🛩️👿。推力式単排気管仕様にしていれば速度は15キロほど向上したそうだから時速630キロ以上と当時の日本陸海軍最速戦闘機になっていたかもしれない、(○_○)!!👀‼️🛩️👿。着陸速度が速くて殺人機などと言われて若年搭乗員には操縦は無理と評価されたが、飛行時間の少ない搭乗員でも乗りこなせたし戦果も挙げていたという、(⌒‐⌒)🛩️👿。
武装も40ミリロケット砲を装備するなど強化する余地はあった、(⌒‐⌒)🛩️👿。海軍は散々苦労して雷電を実用化したが、局地戦闘機はこの機体を使えば人的資源が効率的に使えただろう、(⌒‐⌒)🛩️👿。さらには陸軍は長距離侵攻戦闘機として零戦を使えば零戦、二式単座戦闘機の生産も効率的に行えただろう、(⌒‐⌒)🛩️👿。
ハ45エンジンの不調で計画していた性能が出ずに苦労していた四式戦よりも安定した性能の二式単座戦闘機「鍾馗」の方が良かったかもしれない、(○_○)!!👀‼️🛩️👿。ただ高高度性能については日本の機体はいずれも不足していたのでやむを得ないだろう、(ーー;)(/o\)🚙。二式単座戦闘機後期型に装備されたハ109エンジンもなかなか気難しいエンジンだったそうだ、(~_~;)🛩️👿。
2千馬力級エンジンが実用化できなかった日本では新型戦闘機のエンジン選定には苦労したそうだが、場合によっては三菱の金星を搭載しても良かった、(⌒‐⌒)🛩️👿。二式単座戦闘機「鍾馗」は良くできた機体でもっと注目されてもいい機体だった、(⌒‐⌒)🛩️👿。戦後の米軍の調査でもこの機体を「上昇力、急降下性能とも傑出しており迎撃機として最高の機体」と評価したという、(⌒‐⌒)🛩️👿。