日本海軍の艦艇の中でもっとも働いた艦種はなんだろうか、(○_○)!!👀‼️👿。どの艦種も勇戦敢闘、ほとんど全滅したが、駆逐艦も戦争末期に建造された松型、秋月型やその簡易型を除いてほぼ全数を喪失した、(○_○)!!👀‼️👿。日本海軍の駆逐艦は侵攻して来る米海軍の主力艦を中部太平洋で迎え撃ってこれに雷撃を加えてその数を減らすことを目的に建造されていた、(○_○)!!👀‼️👿。従ってどの艦種も魚雷兵装が非常に充実していて予備を含めて魚雷16本から18本を備えていた、(○_○)!!👀‼️👿。その分対潜、対空兵装は不十分ではあった、(○_○)!!👀‼️👿。
しかし戦争が始まると主力艦同士の決戦などは起こらず駆逐艦は船団護衛、対空、対潜戦、物資輸送など本来とは異なる任務に酷使された、\(゜ロ\)(/ロ゜)/👿。ガタルカナル島への輸送任務では自慢の魚雷を下ろして物資を満載して出かけた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/👿。こうした本来想定された任務とは全く異なる任務に投入された結果、その数を大きく減らして作戦行動に支障をきたすようになったことから量産性と対空対潜能力を強化した松型や防空艦として設計された秋月型などが建造された、(○_○)!!👀‼️👿。
日本海軍は開戦時一等駆逐艦を130隻保有したが、そのうち128隻を喪失している、\(゜ロ\)(/ロ゜)/👿。一方米海軍は877隻の駆逐艦を保有して喪失は71隻だそうだ、(○_○)!!👀‼️👿。日本海軍の駆逐艦は米海軍の戦艦を雷撃で撃沈するために誕生して猛訓練を重ねてきたが、蓋を開ければ全く異なる任務に東奔西走して2隻を残して全滅した、(○_○)!!👀‼️👿。
日本海軍の駆逐艦は機関の配置が右舷左舷平行に配置されていたので魚雷を受けると機関が一気に停止して航行不能になるという弱点があった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/👿。また高仰角の取れる両用砲を装備していたが、高射装置がなくて正確な対空射撃が出来なかった、・・(一一")。さらにはソーナーの精度が悪くてピンポイントで敵潜水艦を探知できず対潜前投兵器もなかったことから有効な対潜戦闘が出来なかった。
戦前に猛訓練を重ねて神業に近いレベルまでたたき上げた雷撃は封印されて対空戦、対潜戦、船団護衛、敵前物資輸送、撤退戦など様々な任務に駆り出されて獅子奮迅、鬼神もこれを避くような勇猛果敢な激戦を戦ってきたが、開戦時の一等駆逐艦130隻のうちで終戦まで生き残ったのは雪風と響のたった2隻だった。
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