太平洋戦争当時、日本が欧米を凌駕していた兵器の筆頭は魚雷だろう、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。速度が速くて射程距離が大きく弾頭威力が大きく航跡が見えにくいというようにいいとこずくめだが、問題があった、(○_○)!!👀‼️。それは当たらないということで50ノットの速度が出ても無誘導の魚雷が40キロを走るには20分ほどもかかる、(ーー;)。その間相手の艦船も動いているのでいくら公算射法で扇形に撃ち出しても相手が進路を変えたりしたら終わりである、(ーー;)(/o\)。

 

よって魚雷を発射するには至近距離まで接近する必要があった、(○_○)!!👀‼️。戦争末期には人間が乗って操縦して命中させる回天という兵器が作られてそれなり戦果を挙げたが、本来は機械でやるべきところを誘導技術が遅れていた日本では人間にやらせる他はなかったのだろう、(ーー;)(/o\)。悲惨なことではある、(ーー;)(/o\)。

 

次はダイハツ、これは車会社ではなくて大発動機艇の省略名で上陸用舟艇である、(⌒‐⌒)🛥️。この舟艇は人員70名や車両などを搭載して直接海岸に揚陸させることができた、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。他にも特大型や小型もあって上陸戦だけでなく人員物資の輸送や武装して火力支援などにも使用された、\(^_^)/🛥️。ダイハツは陸軍が製作していたが、海軍でも多数が使用されている、\(^_^)/🛥️。また陸軍はこのダイハツを多数搭載した現代でいう強襲揚陸艦の原型のような船舶を建造使用している、(--)/===卍。陸軍がこうした揚陸戦艦艇を自前で装備したのは海軍が戦闘艦建造を優先して揚陸戦には冷淡だったからだそうだ、(--)/===卍。ダイハツは米軍なども虜獲したものを活用しているし、戦後は放出されたりかっぱらったものを民間で活用したりしている、(⌒‐⌒)🛥️。なかなか便利な舟艇だったようだ、(⌒‐⌒)🛥️。

 

次はイ400潜水艦、日本海軍は潜水艦に小型偵察機を搭載して偵察などに活用していたが、イ400は本格的水上攻撃機晴嵐を3機搭載して敵の拠点攻撃に使用することを任務とした潜水空母とも言うべきもので山本五十六が提案したという、(○_○)!!👀‼️。実際には戦争末期にウルシー泊地攻撃のために出撃したが、攻撃前に終戦となって米軍に降伏している、(ーー;)(/o\)。潜水艦に攻撃機を搭載して奇襲攻撃をかけるというのはいかにも貧乏国の日本的な攻撃方法ではある、(○_○)!!👀‼️。この潜水艦が戦略原潜に繋がったとかいうが、それは作り話だろう、(ーー;)(/o\)。米軍は輸送潜水艦と考えていたそうだ、(--)/===卍。

 

次は大和型戦艦、無用の長物とか世界の三バカとかいうが、大和型戦艦が計画されたのは昭和12年でまだ航空機はそれほど発達していなかった、(ーー;)。大和型戦艦は戦争前半ならその強力な火力と防御力で使い途は様々あっただろう、(--)/===卍。特にガダルカナル島を巡る戦闘では威力を発揮しただろう、(--)/===卍。また防御力も強力で武蔵は魚雷20本、爆弾10数発を受けて沈没、大和は魚雷10本、爆弾5発を受けて転覆しているが、これだけの攻撃に耐えた戦艦はない、(--)/===卍。米軍の航空戦力が未だ整わないうちは大和型戦艦にも活躍の機会はいくらでもあった、(--)/===卍。

 

最後は零戦だが、この機体は運動性能と航続距離を機体強度と防御力とトレードオフした機体で中低速での運動性能は高いが、高速での運動性能は低い、(ーー;)。また20ミリ機銃は当たれば威力は大きいが、装備弾数が少なく当たらない、(--)/===卍。そんな零戦が戦争前半に大活躍したのは負けた腹いせに話を盛っていることもあるが、当時の鍛えに鍛えた一騎当千の搭乗員の技量に依るところが大きいだろう、(--)/===卍。実際にそうした搭乗員が消耗してしまってからは性能の相対的劣化とともに被害が増加している、(ーー;)。せめて52型を出したときにエンジンを中島の栄から三菱の金星に換装して飛行性能を向上させておけばもう少し活躍できただろう、(ーー;)(/o\)。海軍は航続距離が減少することを理由に換装を拒否しているが、航空機の飛行性能を上げるにはエンジンのパワーアップしかないのだからさっさと換装しておけば良かった、(ーー;)(/o\)。航続距離はデカい増槽でもつければいい、(--)/===卍。

 

 

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