太平洋戦争で残念なことがある、(ーー;)(/o\)。一つ目は真珠湾攻撃で艦船修理施設や石油タンクを破壊しなかったこと、これらを破壊していれば米軍の反攻は半年から1年は遅れただろう、(ーー;)。勝敗を1日で決するという覚悟があったならやるべきだった、(ーー;)。ただ南雲機動部隊には軍令部から「艦を失うな」という指示が出ていたそうだから止まって反撃を受けることを恐れたようだ、(ーー;)(/o\)。当時の海軍は連合艦隊と軍令部の二重の指揮を受けていたので作戦の意思決定が統一されないきらいがあったようだ、(ーー;)。
次はミッドウェイ海戦、暗号が米軍側に解読されて情報が漏れたとかいうが、米海軍の空母撃滅が目的なら情報が漏れて米海軍の空母が出て来てくれれば万々歳で負けたのは作戦目的を米空母撃滅とミッドウェイ島攻略の二股かけたことだろう、(ーー;)。またアリューシャン攻略など意味のない作戦を計画して兵力を分散したこと、アリューシャン攻略部隊を上陸部隊の支援に当てて主力部隊も機動部隊護衛と攻略部隊の護衛に分散すれば良かった、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。そして第一航空戦隊は島の攻略には参加させずに米海軍機動部隊に備えて待機させておけばいい、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。それで勝てたかどうかは分からないが、あれほどの惨敗はしなかっただろう、(ーー;)。ただ太平洋戦争の勝敗の分岐点はミッドウェイ海戦というが、それは間違いで確かに手痛い敗戦だったが、本当に日本の戦力が尽きたのはソロモン諸島方面での1年間の大消耗戦でこの戦いが終わった時に太平洋戦争の勝敗が着いていた、(ーー;)(/o\)。その後の戦闘は米軍による残敵掃討戦だった、(ーー;)(/o\)。
次はマリアナ沖海戦、この頃は日米の戦力は隔絶していて米海軍機動部隊は日本側の2倍の航空戦力を有していた、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。日本側は基地航空戦力と合わせて米海軍に対抗する予定が、基地航空戦力は米海軍に振り回されて各個撃破されてしまって存在せず機動部隊の戦力だけで米海軍に対抗することになっていた、(ーー;)。そして小沢司令官はアウトレンジ作戦を取ったが、当時の未熟な搭乗員には無理な作戦だった、(ーー;)。出来れば可能な限り接近して刺し違えるという作戦の方が良かったかもしれない、(⌒‐⌒)😃⤴️😃🎵。また日本側は戦闘機の数で圧倒されたが、艦載戦闘機の数をもっと増やすべきだった、(⌒‐⌒)😃⤴️。機材や搭乗員に限りがあるだろうけど450機のうちの300機くらいを戦闘機、100機が艦爆、50機が艦攻くらいでもいいだろう、(⌒‐⌒)😃⤴️。米海軍機動部隊は艦載機の半分は戦闘機だったそうだ、(ーー;)(/o\)。
次はレイテ沖海戦、この頃は日米の戦力は隔絶していてまともに戦えるような状態ではなかった、(ーー;)。この作戦自体が全滅を睹した殴り込みのような作戦だったが、連合艦隊をすりつぶすつもりのレイテ湾殴り込みならせっかく湾口までたどり着いた第二遊撃部隊はそのまま突入すべきだっただろう、(ーー;)。それでどんな戦果があったか分からないし、戦艦大和以下の第二遊撃部隊はそこで全滅したかもしれない、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。しかしそれが作戦の目的ならやるべきだろう、(ーー;)。栗田中将の謎の反転というが、あれは間違いなく逃げたのだろう、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。栗田という提督はミッドウエー海戦でも逃げたし、何かというと逃げるクセがあったという、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。反転した時に宇垣中将が「敵はそっちじゃない。あっちだ」とレイテ湾口を示したというが、その時は米軍の戦艦のマストが見えていたという、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。レイテ湾に突入してもどのくらいの戦果があったか分からないし、仮にそこで勝っても一時的な勝利でしかなかっただろう、(ーー;)(/o\)。連合艦隊はそこで全滅していたかもしれない、\(゜ロ\)(/ロ゜)/。でも本土で空襲で撃沈されるよりは戦って沈んだ方がましだったかもしれない、(ーー;)(/o\)。米海軍戦艦部隊は西村艦隊との戦闘で弾丸を撃ち尽くしていたなんて話もあるが、弾は十分に残っていたとか、(ーー;)。
結局帝国海軍は自分たちが予想したとおり2年間は何とか米海軍と五分に戦って敗れた、(/o\)。敗れた最大の原因は国力の差でこれはどうしようもないことだった、(ーー;)。だが最後まで戦闘の目的を統一出来ずにちぐはぐな作戦を繰り返して個々の戦闘でも敗れ去った、(ーー;)(/o\)。海軍部内でもう少し意思統一が出来れば勝てた戦もあったかもしれない、(ーー;)(/o\)。ただそうして個々の戦闘で勝利しても戦争が半年か1年延びただけで最終的な勝利はなかったことは間違いないが、\(゜ロ\)(/ロ゜)/(ーー;)(/o\)😖💦。