昨日陸軍の二式単座戦闘機「鍾馗」の話をしたが、この機体、当時としては速度、上昇力の優れたなかなか優秀な戦闘機だった。欠点としては戦闘機用の大馬力エンジンがなくて爆撃機用の直径の大きいエンジンを装備したことで頭でっかちになって前下方の視界が悪く着陸速度が速いことと相まって着陸が難しく事故が多かったことと運動性が悪かったことだが、運動性については一式戦などには劣ったが、連合軍機には勝っていて問題にはならなかったそうだ、\(^_^)/😃⤴️🙆🆗。また離着陸も飛行時間200時間程度の搭乗員でも問題はなかったそうだ、\(^_^)/😃⤴️🙆🆗。この機体の問題はエンジンで1型が装備したハ41は1260馬力でややパワー不足、2型が装備したハ109は気難しいエンジンで調整に手間がかかったそうだ、(○_○)!!😱👀‼️(/o\)。当時の中島のエンジンは小排気量で回転数を上げてパワーを稼ぐものが多かったので気難しかったのかもしれない、( ̄□ ̄;)!!😱❕👀‼️(/o\)。三菱の金星を装備する手もあったかもしれないが、中島にすれば自社の機体には自社のエンジンということだろう。また高性能の過給機がなかったので高高度性能も不足していたというが、エンジンの不調や過給機の問題は当時の日本機の共通の弱点だった、\(゜ロ\)(/ロ゜)/(/o\)。それでも速度は600キロを超えていて急降下性能も時速800キロで旋回しても機体には全く異常はなかったそうなので推力式単排気管を装備すれば時速は620キロ以上でなかなか優秀な機体ではあったが、四式戦に押しやられて終わってしまった。その四式戦もエンジンやらプロペラの不調でまともに飛ばない機体が多く活躍は限られた、( ̄□ ̄;)!!(○_○)!!(/-\*)。鍾馗の生産機数も1200機強で主力とはなり得なかったが、本土防空戦で活躍するなど放置してしまうには惜しい機体ではあった、( ̄□ ̄;)!!(/o\)。ただ武装は13ミリ機銃4丁とちょっと当時としては不足気味かもしれない。40ミリロケット推進式機銃装備の機体もあったが、弾道が安定せず命中させるには高度な技量が必要だったそうだ、(ーー;)(/o\)。それでも改良を重ねて使い続けるべき機体だったと思う。海軍も三菱の「雷電」に拘らずにこっちを使えば良かったと思うが、面子が邪魔したのだろうか、\(゜ロ\)(/ロ゜)/( ̄□ ̄;)!!(/o\)。