L-4S(ラムダ4S)という衛星打ち上げロケットが日本にあった。1970年に日本初、世界でも米ソ仏に次いで4番目の人工衛星を打ち上げたロケット🚀である、\(^_^)/😃⤴️🙆🆗🚀(^^)/\(^^)。当時は米国がサターン5ロケット🚀で月着陸船をバンバン打ち上げていたが、サターン5ロケットの総重量は2500トン、(○_○)!!😱👀‼️。わがラムダは総重量9.4トン、ごうごうと炎と煙を吐き出しながらゆっくり上昇して行くサターンに比べてクレーン車の打ち上げ台からピューンと飛んでいくラムダはまるで玩具の花火のようだった、( ̄□ ̄;)!!😱👀‼️😣💦⤵️。しかしこのラムダロケットには他国のロケットにはない特徴があった。それは誘導装置がないことだった、( ̄□ ̄;)!!😱👀‼️😣💦⤵️。ロケットはただ真上に打ち上げても衛星を軌道に乗せることはできないそうだ、(○_○)!!😱👀‼️。打ち上げたロケットを寝かせて地表と平行になるようにして衛星軌道に持って行きそこで落っこちてこない速度まで加速してやらないといけないそうだ。なぜ誘導装置を積めなかったかというと当時の日本社会党とかいう政党が「誘導装置の開発は弾道弾開発につながる」とかいちゃもんをつけたからだそうだ。この政党は何かというと日本の足を引っ張るお邪魔政党だった、💢😠💢😡⚡😡💣️⚡( ̄□ ̄;)!!。しかし何とかしないと衛星を軌道に乗せることができない。そこで考えたのが「無誘導重力ターン方式」という誘導方式だった。これは機体のフィンでロケットの飛行方向を安定させたり機体にスピンをかけたり止めたりはたまた逆スピンをかけたりそれはそれは複雑怪奇なことをしてロケット🚀の飛行経路を安定させたのだった、(○_○)!!🚀😱👀‼️。そして第1回打ち上げは3段目ロケットに逆スピンがかからず失敗、第2回目は4段目ロケットが点火せずに失敗、第3回目は3段目ロケットに点火せずに失敗、第4回目は3段目ロケットが切り離し後に4段目ロケットに追突して失敗、5回目はようやく衛星の軌道投入に成功したが、1段目が風に流されたことに加えて4段目ロケットの噴射が強すぎて予定の遠地点2900キロ、近地点590キロの楕円軌道ではなく遠地点5151キロ、近地点337キロの長楕円軌道に投入された、( ̄□ ̄;)!!😱👀‼️。また衛星本体の断熱が不十分だったので電池の消耗が早くておよそ15時間で電源が消耗してしまった、(○_○)!!😱👀‼️🚀。日本の人工衛星打ち上げは度重なる失敗の末に何とか達成されたが、当時は米国は月に人間を送る、片や日本は一発勝負の花火のようなロケット🚀打ち上げでその差たるやまさに月とスッポンだったが、その後半世紀で日本の衛星打ち上げ技術や惑星間航行技術は世界レベルに並ぶようになった、\(^_^)/😃⤴️🚀🙆🆗(^^)/\(^^)。この時打ち上げられた「おおすみ」と命名された衛星はその後33年間軌道上を周回していたが、2003年8月に大気圏に再突入して燃え尽きたそうだ、(○_○)!!🚀🔥。L-4Sロケットは上野の国立科学博物館前に発射機とともに展示されている。L-4Sロケット🚀は衛星を含めた総重量9.4トンでこれは衛星打ち上げ用ロケットとしては世界最小だそうた、\(^_^)/😃⤴️🚀🙆🆗(^^)/\(^^)。