太平洋戦争当時の昭和18年に安定した性能を発揮することができる戦闘機用2千馬力級エンジンを完成していたら日米の航空戦はどうなっただろう。まず海軍の零戦後継機の烈風は昭和19年前半には実戦配備されただろう。エンジンは三菱製ハ43でこの機体は実際に試験した海軍技術士官が「昭和20年3月にこの機体が2千機、200機ではない、あれば戦局の転換も可能」と言ったそうだが、そこまで高性能だったかどうかはともかくF6Fには優勢に戦えただろう。ただ速度が620キロ程度でF4Uや陸軍のP51やP47には高速性能で劣っている。バカでかい翼をもう少し切りつめても良かったようにも思う、\(^_^)/😃⤴️🙆🆗。紫電もエンジンがまともならもう少し速度が出ただろう。紫電改は速度的には600キロの後半程度で運動性能は烈風に劣っただろう。この紫電改には三菱製ハ43エンジンに換装した紫電改5という試作機があった。この機体はエンジン出力や機体の規模が米海軍のF8Fと似通っていて完成していれば速度はF8Fにちょっと劣るが、運動性能はF8Fを凌駕すると言ったほぼ互角の機体になっただろう。海軍最強は紫電改5かもしれない、\(^_^)/😃⤴️🙆🆗。震電は安定した飛行ができるまでにかなりの期間が必要だろう。ただ烈風や紫電改がきちんと性能を発揮すれば、そして過給機が完成していれば、震電は徒花で終わっただろう、🙅🆖⤵️。陸軍は四式戦がハ45を搭載して大活躍だろう、\(^_^)/😃⤴️🙆🆗(^^)/\(^^)。陸軍戦闘機の生産は四式戦に統一されるかもしれない、\(^_^)/😃⤴️🙆🆗(^^)/\(^^)。高速性能に加えてある程度の運動性能を兼ね備えて言うことなしの性能だろう。過給機が完成していればキ98Ⅱは必要なかっただろう。そうしてエンジンが完成していても戦局が変わるなんてことはあり得ない、(○_○)!!😱👀‼️。何故か、それは「昭和20年3月に烈風2千機」なんて作れないからである、( ̄□ ̄;)!!😱👀‼️。いずれの機体もどんなに頑張って作っても月産100機程度、第一線に投入する側から消耗して行って前線には2、300機程度しか揃えられないだろう。仮に2千機が揃ったとしても搭乗員や燃料などを十分準備できるか怪しいものである、\(゜ロ\)(/ロ゜)/😱👀‼️。昭和18年に戦闘機用2千馬力級エンジンを完成させること自体資源もなく工業生産力も技術力も基礎科学レベルも劣っていた日本には不可能なことだった。戦争末期、物質もなく生産設備は破壊され混乱を極めた中でジェット機やロケット機🚀を作って飛行させたことは「よくぞやった」と称賛に値することでそれが現在の航空機やロケット開発に繋がっている。戦争には間に合わなかったが、長い目で見れば意義があったと言えるだろう、\(^_^)/😃⤴️🙆🆗(^^)/\(^^)。最近の日本は他の先進国に比べて技術でも優位性を失いつつあるが、由々しきことではある、( ̄□ ̄;)!!😱👀‼️。技術は国の宝、ぜひとも投資を欠かさないで欲しい、\(゜ロ\)(/ロ゜)/😱👀‼️。