今日は79回目の終戦記念日、平たく言えば日本が米国などに無条件降伏した日ではある、\(゜ロ\)(/ロ゜)/😱👀‼️。開戦前、米国と戦っても勝てないとしごくまっとうな意見を持っている軍人は陸海軍にもたくさんいた。特に海軍は「米国と互角に戦えるのは2年」と日本の継戦能力を正確に予測していた。それでも開戦に傾いたのは戦えないと言った場合、陸軍に予算をぶん取られる恐れがあることと国内の混乱収拾の責任を負わされることを嫌ったからだとか、(○_○)!!😱👀‼️。開戦時海軍の艦船保有量は米軍に対して悲願の7割になっていた。そこで軍令部は各司令官に「できるだけ艦を失うな」と指示していた。連合艦隊は短期決戦を目指していた。双方は違う戦い方を目指していた、( ̄□ ̄;)!!😱👀‼️。真珠湾を始め日本の攻撃が徹底さを欠いていたのは軍令部の艦船温存策が原因ともいう、(○_○)!!😱👀‼️。真珠湾の時は米軍の艦船を撃沈して有頂天になっていたが、海軍工廠と石油タンクを破壊していたら米海軍の復活は更に遅れただろう。燃料もなく整備も出来なければ軍艦は動けない、(○_○)!!😱👀‼️。またミッドウエー海戦で4隻の空母を失ったのが戦局の転機と言われるが、海軍はその後も攻勢を取って昭和17年末には太平洋で行動可能な米海軍空母はゼロというところまで米海軍を追い込んでいる。日本が本当に息の根を止められたのはガダルカナル島を巡るソロモン諸島海域での攻防戦で日本の工業力を上回る消耗戦に引き込まれて大量の航空機や艦船と熟練搭乗員を多数失ったことではある。日本軍がガダルカナル島から撤退した時点で戦争の勝敗は決まっていた、( ̄□ ̄;)!!😱👀‼️。ネットでは「こうすれば、何とかなった、・・\(^_^)/」・・(○_○)!!😱👀‼️なんて展開が多く見られるが、何をやっても日本に勝ちはなかった、( ̄□ ̄;)!!😱👀‼️。仮に艦隊決戦で勝利しても当時の日本には大規模作戦は半年に1回程度しかできなかったし、ハワイ辺りを再攻撃しても米国西海岸に至る頃には米軍も戦力を回復しているだろう、(○_○)!!😱👀‼️。南方資源地帯を押さえてこれを守っても輸送路を攻撃してくる米陸海軍と戦闘になって結局は輸送路途上の島嶼争奪戦に引き込まれて工業力の差で圧倒されるだろう。当時の日本は局地的な戦闘に勝利することは出来ても米国本土を攻撃して米国の工業生産力を削ぐことはできなかったのだから、( ̄□ ̄;)!!😱👀‼️。現代の感覚では米国にケンカを売ったことは「なんて無茶なことを」の世界だが、当時は国内不況からの脱却やら始めた戦争の犠牲者と引き換えに得た利権を放棄するに忍びないとか組織の拡大とか日本の国際的な地位の向上とか様々理由はあったのだろうけど武力で国力の拡大を図ることはよろしくない、\(゜ロ\)(/ロ゜)/🙅🆖⤵️。それは日本だけでなく米国にしても同様ではある、( ̄□ ̄;)!!🙅🆖⤵️。しかし戦争はいけないというが、戦争は一向になくならないのは人間という生き物は力を使っても自分の立場を良くしようとする本能を持った生き物だからだろう。日本は戦後79年平和が続いているが、その平和も成金のお隣さんのために風前の灯火ではある、\(゜ロ\)(/ロ゜)/⚡🌀☔👀‼️😱。戦争はやるべきではないが、降りかかる火の粉は払わないといけないだろう、\(^_^)/😃⤴️🙆🆗(^^)/\(^^)。80年前に血で血を洗うような激戦を繰り広げた日米は今はお互いになくてはならないパートナーとなっている、\(^_^)/😃⤴️🙆🆗(^^)/\(^^)。そのパートナー同士がお互いに期待される役割を演じることがないことを祈りたい、🛐\(^_^)/😃⤴️🙆🆗(^^)/\(^^)。