海軍士官を目指して難関の入学試験を突破して海軍兵学校に入校してさらに激烈な4年の学校生活を終えて少尉候補生として艦隊配置になると「士官、下士官、兵、牛馬、候補生」と言う牛🐄や馬🐴以下の待遇が待っていたそうだ。少尉に任官するとやっと人間扱いしてもらえるが、金欠病で懐は寒風が吹き抜けていたそうだ。海軍兵学校に入校した生徒の目標は連合艦隊司令長官と言ってもそうそう簡単になれるはずもなく最も人気があったのは大佐で戦艦の艦長をやって予備役編入と言うコースだったそうだ。しかし戦艦艦長と言っても日本海軍に戦艦は10隻しかなくこれもなかなか狭き門だったようだ。海軍にはハンモックナンバーと言う序列があってこれは兵学校の卒業成績の順位だが、これが悪いと出世は難しかったようだ。それでも順位が下の方でも米内光政のように海軍大臣から総理大臣になった人もいる。また将官になるには海軍大学校を卒業することが条件だったそうだが、木村昌福のように海軍兵学校の卒業順位はどん尻、海軍大学校にも入校しないで中将になった人もいる。また中にはあまりにも枠を踏み外して少佐で予備役編入なんて人もいたそうだ。海軍も人物や能力を見ていたのだろう。平和な時代の海軍はなかなかリベラルな組織でそれは現代に持って来ても先進的かつ合理的な組織であったかもしれない。しかし艦隊派と呼ばれた対米英強硬派が台頭して来ると全体主義的な傾向が強くなって良識派が排除されて行った。それでも出世は能力に加えて派閥や運などもあっただろうが、戦争が始まると出世どころか尉官クラスは大部分が戦死してしまって敗戦で海軍は消滅してしまい踏んだり蹴ったりではあった。それでも生き残ったものは大学に入学したり事業を始めたり戦後の復興に貢献したようだ。井上校長が普通学を重視したり英語教育を続けたのは敗戦後を見据えてのことだったそうだ。海軍兵学校も生徒が出世主義に取りつかれてはいけないとかその辺の教育にはいろいろ苦労したそうだ。しかし戦艦の艦長はなかなか魅力がありそうだ。何しろ数万トンの巨艦に数千人の部下がいてその頂点に君臨出来るのだからハイティーンの少年が憧れた👀〰️💕のも無理はないだろう。それでもその艦長も極めて狭き門だった。いずれにしても出世するには個人の能力ばかりでなく人脈やタイミングなど様々な要素が絡み合うのでなかなか思うようには行かないが、人気ナンバーワンが戦艦の艦長というのは少年らしい夢があって微笑ましい。そんな少年の夢を根こそぎなで斬りにしてしまう戦争というものは悪逆無道な行為だが、人間の本性だから人間が存在する限りなくならないだろう。戦艦の艦長か。出来ればやってみたいな、\(^_^)/🙆🆗🎃😁🌀😅🌴。9月に思うこと

 

 

 

 

 

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