12試三座水上偵察機は傑作と言われた94式三座水上偵察機の後継機として川西と愛知で競作が行われたが、川西の1号機は試験中の事故で破壊、2号機は試験飛行中行方不明で川西の機体は採用中止となってしまった。愛知の機体は期限に間に合わなかったために失格となっていたが、機体を完成させて社内で試験飛行中、川西の機体が2機とも失われたために急遽採用となって試験飛行が行われ「性能優秀、操縦安定良好、性能は要望に達する」として零式三座水上偵察機として採用となった。翼はハインケル系の楕円テーパー翼、胴体はセミモノコックで風防は三座とも密閉風防となっていた。エンジンは安定していることで定評のある金星43型、プロペラは住友ハミルトン系の直径3.1メートルの三翔定速型、武装は後方の7.7ミリ旋回機銃1丁、爆撃兵装は250キロ1発、60キロ4発だった。この機体は大型水上艦の偵察用として、または基地の偵察哨戒、連絡などに使用された。速力は380キロ弱で敵の戦闘機に捕まれば撃墜される可能性が非常に高かったが、それでもよく働いて敵の発見に努めている。またソロモン方面では偵察、哨戒、夜間爆撃や機体下部に20ミリ機銃を装備してソロモン方面で跳梁していた米軍の魚雷艇狩りに駆り出されて成果を挙げている。また戦争後期には偵察や哨戒に従事するとともに夜間の哨戒や攻撃にも従事している。またフィリピン戦、沖縄戦では通常攻撃以外に特攻にも参加している。さらには電探や磁探を装備して海上護衛作戦にも従事している。こうして零式水上偵察機は艦隊で、そしてまた基地航空隊で裏方として様々な作戦に従事して貢献した。総生産機数は1,400機強だが、終戦時には200機が残存していた。そのうち4分の一が外地にあったのは同機があらゆる戦地に配置されて活躍していたことがうかがわれる。変わったところでは48機の雷撃型が作られ配備されている。雷撃方法は敵艦の手前に着水して水上滑走で敵艦に接近して魚雷を投下、投下後は離水して帰投すると言うものだが、実戦に参加することはなかった。日本は四周を海に囲まれているので大量の水上機を保有していた。開戦時の海軍の航空機保有数は1,872機だったが、そのうち349機が水上偵察機で外地部隊に259機が、内地部隊に90機が配備されていた。これだけの水上偵察機を配備していた海軍は他にはなくその活動範囲は北はアリューシャン、南はオーストラリア、東は米国西海岸、西はインド洋に及ぶ。そして艦隊の目として、あるいは基地航空隊の連絡哨戒、攻撃用にと地味ながら活躍した。すべてが零式三座水上偵察機ではなく94式三座水上偵察機、95式水上偵察機、零式観測機、その他の水上機もあるが、日本の水上機はその性能に定評があった。零式三座水上偵察機は近代的水上偵察機としてその安定した性能で海軍の目としてあるいは局地攻撃用として地味ながら馬車馬のように働いた傑作機だった。

8月に思うこと

 

 

 

 

 

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