何もかも商品価格が値上がりしているが、食用油の値上がりがひどい。品目にもよるが、30%以上も上がっている。今日は大豆油とキャノーラ油の混合油が比較的安かったので買ってきた。

大豆油と言えば太平洋戦争末期、日本海軍は米国に海路を封鎖されて艦船の燃料油に窮して満州産の大豆油を駆逐艦などの燃料にしていたと言う。大豆油で走ると豆の香ばしい匂いが漂ったとか。

戦争に負けた後で日本は優れた技術を持っていたが、米国の物量に負けたとか言う話がいろいろ出たが、負けたのは物量だけじゃなくて技術でも負けていた。日本が戦後得意だった造船も英米の方が優れていた。例えば電気溶接技術やボイラーで高温高圧蒸気を発生させる技術など日本は米英に及ばなかった。戦艦などの装甲板もリベットで止められていたので魚雷が当たると衝撃でリベットが飛び散って装甲板が緩み漏水したと言う。

また鋳造技術も遅れていて戦車の砲塔を一体鋳造することができなかった。陸軍が戦争末期に開発していた四式戦車の砲塔は一体鋳造ができず前後に分けて鋳造してそれを溶接していたので生産性を上げるための鋳造が却って手間がかかっていたそうだ。

空母にしても英米は蒸気カタパルトを装備して小型の空母でも航空機を発艦させることができたが、日本ではカタパルトが実用化できなくて低速小型の空母では大型の艦載機を発艦させることができなかった。

レーダーやソーナーなどの電子兵器は言うまでもなく対潜前投兵器も有効な兵器を開発することができず海防艦などは80ミリの迫撃砲を搭載していたが、威嚇以上の兵器ではなかった。

機関銃も良質のバネが作れずに作動不良が頻発したし、砲弾も冶金技術が低くて敵の戦車に当たると弾丸が割れてしまったと言う。

航空機にしてもエンジンは5、6年、プロペラは10年以上も遅れていたと言うし、高高度性能を上げるための排気タービン過給機も最後まで実用化できなかった。

機雷にしても米軍は音響、磁気、水圧センサーを組み合わせた機雷を開発して日本を翻弄した。音響機雷は爆発筒を放り込むと処理ができたそうだが、磁気と音響を組み合わせたものには手も足も出なかったとか。

零戦が戦争前半期に活躍したのは防御などの性能を犠牲にして軽量化して運動性能を上げたこともあるだろうが、当時の鍛え抜いた一騎当千の熟練搭乗員によるところが大きかったように思う。

最後には日本もジェット戦闘機やロケット機を作り上げたが、そのころには英国ではグロスターミーティア、米国ではP80と言うジェット戦闘機が量産に入っていた。日本のジェット機は高性能よりも粗悪な松根油などの燃料を使えるようにするためと言う。エンジンの耐久運用時間も10時間程度だったと言う。

米国には物量で負けたと言うが、資源でも技術でも大差をつけられていたのでどうやっても勝てる戦争ではなかった。今日はスーパーで大豆油を売っているのを見てそんなことを考えた、・・(◎_◎;)。

 

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