確かに認知症なんて誰がなるかも分からない。親が認知症だと発病の可能性は数倍から20倍とか読んだが、体質と言うものもあるんだろう。佐山家は大丈夫そうだが、それも分からない。人生なんて何も知らずに地雷原を歩いているようなものなのかもしれないが、それにしても嫌な病気があったものだ。
総務課長の奥さんも一流大学を卒業した才媛で社内でも切れ者と評判を取っていたそうだ。その人が認知症なんて何ともお気の毒ではある。でも本人はそんなことも分からなくなってしまっているんだろう。一生懸命生きてきてそんなことになってしまう人もいれば他人を巻き添えに死のうとして自分は生き残るようなバカもいるし、一体人間て何だろうと考えてしまうことがあるが、不心得者がいなくなって不幸を背負い込むものもなくなれば人間ではなくて神になってしまうのかもしれない。そんなこんなで僕と知的美人が四苦八苦しながら総務課長夫婦の面倒を見ているうちに日が暮れて女土方とクレヨンが帰ってきた。
「社長がとても心配していたわ。あの二人には本当に迷惑をかけるって。今、奥様を見てくれる施設を探しているそうだけど年が若いのでなかなか見てくれるところがないそうで苦労しているみたい。見てくれるところもあるけどかなりお金がかかるそうなの。いろいろ手を尽くすからもう少し面倒見てやってくれって。明日社長も様子を見に来るそうよ。」
女土方がそんなことを言ったが、見に来られてもどうしようもない。この状況を解決する方法を早く考えてほしいものだ。
「何なのよ、あの病気って。記憶だけじゃなくて服の着方もご飯の食べ方も歯の磨き方もトイレでさえも分からなくなってしまうなんてどうなっているのよ。なんでそんな病気が起きるのよ。」
知的美人が吐き捨てるように言った。たった1日で相当なショックを受けたようだった。
「あ、そうだ、食事を持って行ってやらないと、・・。」
僕は二人の食事を思い出して知的美人を連れて食堂に行って食事を運んでやった。そして奥さんお食事の介助をしてやった。箸はおぼつかないのでスプーンを使わせたが、それも危なっかしかった。仕方がないのでゆっくり口に運んでやったが、まだ噛んだり飲み込んだりはできるようだった。そんな彼女を見ていると何だか涙が出てきてしまった。この病気って知的美人が言うように記憶が混乱するような単純なものではない。人間が人間として存在しているその裏付けとなる脳機能を破壊してしまう病気だった。
「もう食べたの。大丈夫。じゃあシャワーを浴びて着替えましょう。」
僕はそう言うと総務課長に着替えと洗面用具を出すように言った。そしてそれらを受け取ると知的美人に目で「ついて来い」と合図した。知的美人は黙って立ち上がった。ドアは外からロックしていないのでそのまま開いた。そして僕らは奥さんを両側から挟むように浴室まで連れて行ってシャワーを使わせると下着を着替えさせて部屋に戻った。無邪気な様子で笑っている奥さんのきれいな体や知的な顔つきがなんとも哀れだった。知的美人も目に涙を浮かべていた。
「なんであんな病気があるのよ。ひどすぎるわ」
部屋に戻ると知的美人が吐き捨てるようにそう言った。
「あの人、一流の大学を卒業してアメリカに留学までしているの。語学が堪能で資格もいろいろ持っているのにそんな人がどうして着替えもお風呂もトイレだって分からなくなってしまうのよ。食事だって一人じゃ食べられないじゃないの。一体何なのよ、あの病気って。そのくせ昔のことはよく覚えているのよ。大学時代とか留学していた頃とか。あの人を見ていると生きて年を取るのが怖くなってくるわ。あんな病気になるならガンで死んだほうがましよ」
女土方とクレヨンは自体がよく呑み込めていないので何だか唖然とした風で知的美人を見つめていた。
「あの病気ってアミロイドβとか言うたんぱく質の一種が脳に蓄積して行って脳の情報伝達網を破壊してしまうらしいわ。発症する何十年も前から徐々に蓄積して行くらしいわ。65歳以上の5人に1人は認知症になるというから私たちのうちの1人くらいはそうなるのかもね。恐ろしい話だわ」
僕がそう言うと知的美人は「やめてよ」と吐き捨てた。
「どうしたの、二人とも」
女土方が僕たちの様子がおかしいと言わんばかりにそんなことを言った。
「彼女ね、今日1日総務課長の奥さんのお世話していてブルーになっているの。認知症ってね、人間が人間として存在できるその基本になっている記憶、認識、思考、判断能力を根底から破壊してしまう本当に恐ろしい病気なのよ。何だかあの奥さんを見ているとこっちが悲しくなってくるわ。あの病気ってアミロイドβとか言うたんぱく質の蓄積を防止する薬ができたとか言うけどその効果は不確定だし発症してしまったら現代医学では手の施しようがなくてどうにもならないんだそうよ。」
僕がそんな話をしていると大ドラ公が寄って来て膝の上に飛び乗った。
「サン、あんた、私が認知症になったら私の首を噛み切って殺してね。頼むわね、戦友、・・」
僕はそう言うと大ドラ公を抱きしめた。大ドラ公は「グエ」とか鳴いた。
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