「よし、話はついた。これからそっちに移動しよう。おい、総務課長、あんたと奥さんの数日分の着替えや身の回りの物をまとめろ。今夜の宿に行くぞ」
 

社長は総務課長をそう急き立てると「佐山さんちょっと奥方を見てやってくれないか」と奥さんのお世話を僕に振った。まあここには一応女と言うのは僕しかいないので仕方がないだろう。振られてしまったので奥さんのそばに行くと「さあ、ちょっとお出かけしますよ」と声をかけた。奥方は僕の方を向くと「あら、あなた、そこにいる方の奥様、お若いのね」と自分の夫を示した。
 

「お前の亭主だろうが、そこにいるのは、・・」
 

僕はそう言いたかったが、ぐっと堪えて奥さんの服装を整えてやると「何か羽織るものがあった方がいいですね。課長、何かありますか」と聞いてみた。何だかのろのろと支度をしていた総務課長は寝室に入って行ってジャケットを持ってきたのでそれを羽織らせてやった。
 

「総務課長、あんたも堅苦しい恰好ではなくてカジュアルな服装でいいよ。着替えてきて」
 

社長は監督者のように突っ立ったまま総務課長に言った。奥方は「あら、どこにお出かけなの」とか言っていたが、嫌がる様子はなかった。でもそばにいると風呂に入っていないのか何となく体臭が漂ってきた。30分ほどで総務課長が衣類などを詰め込んだバッグをそろえたので社長が「じゃあ行こうか」と声をかけた。僕は女の皮を被った狼なんだけどさすがにこの状況では悪事を企む気力もなく奥方のエスコートに専念した。一言付け加えておけば奥様は正気をなくしてはいるが、それなりにきれいなご婦人だった。

 

僕たちは社長の車で金融王の自宅へと向かった。金融王の自宅とは言ってもそこは僕の自宅でもあった。そして僕は女土方に電話すると「これから社長とそっちに帰る。総務課長さんと奥さんも一緒だけどいろいろ深い事情があるので戻ってから話す」とだけ電話しておいた。女土方はただ「分かったわ」とだけ言った。外に出ると社長は僕と奥方に後ろに乗るように言った。バッグはトランクに放り込んだ。社長の車は2ドアのスポーツカーだが、さすがに後席は狭くて無理やり体を押し込んだ。

 

奥方は「こんな狭苦しい車でどこに行くの」と文句を言っていた。金融王の家にはほんの15分ほどで到着した。そして社長の車が玄関先に入って行くと全員が玄関先で待ち構えているのが見えた。大ドラ公まで出てきていた。玄関先に車が止まると総務課長が降りたのでシートを倒して僕も降りた。そして奥さんを引っ張り出した。そしてクレヨンと知的美人に「トランクから荷物を出して面会室に運んで」と言って荷物を運ばせた。
 

「社長、総務課長さんはどうしたんですか」
 

女土方が僕を手伝って奥さんを誘いながら社長に聞いていた。
 

「うん、今はこっちを先に、・・。後で説明するから」
 

社長はそう言うと総務課長を連れて行った。そして二人を部屋に入れると「用事があったらこのインタホンで呼んでください。中からドアは開きませんから。冷蔵庫に入っているものは自由にお召し上がりください。レンジも使えるようになっています。トイレと洗面はそっちに、必要ならシャワーもあります。窓は開きませんが、完全空調ですので問題はありません。換気もきちんと行われています。何かご質問はありますか」
 

僕がそこまで言うと今度は社長が代わった。
 

「今後どうしたらいいかお二人の生活について専門家の意見も聞いてちょっと考えるのでしばらくはここで生活して欲しい。何かあれば彼女に言ってくれれば大丈夫だから。」
 

社長はそう言うと僕の方に目配せした。
 

『おいおい、またかよ。』
 

僕はそう言いたかったが、社長が「ごめん」とまた目配せするので黙っていた。
 

「じゃあそう言うことでまあ落ち着かないだろうけどしばらくのんびりしていて。」
 

社長はそう言ってドアを閉めると深くため息をついた。そして5人と一匹でリビングに移動した。知的美人とクレヨンが5人分のコーヒーを持ってきた。社長はそのコーヒーを一口飲むともう一度ため息をついた。
 

「今日、総務課長が自殺未遂、・・かどうか分からんけどとにかくマンションの屋上に立っていて警察に保護された。原因は奥さんで認知症だそうだ。若年性で進行が早くてあっという間に病状が進んだらしい。今では旦那さんも見分けられないようだ。総務課長も仕事に加えて介護に自分の生活で疲れてしまったんだろう。介護で人を殺したりもするからなあ、重い問題だよな。早急に手立てを考えるので一時、ここで預かってほしい。他において置く場所がないので。それで佐山さん、出社しなくていいので見てやってくれないか。他に誰か、・・」
 

「私が一緒に見ます」
 

社長がサブを求めると知的美人が間髪を入れずに申し出た。最近は社の業務よりも何だか介護職のようになってきた。
 

「佐山さん、本当に申し訳ない。きっと埋め合わせはするから」
 

社長は僕に向かって頭を下げた。
 

「上司で大好きな人に言われたらお断りできないわよね」
 

知的美人が余計なことを言ったので「おだまり」と一喝してやった。
 

「大好きなのは彼女じゃなくて僕の方だよ」
 

社長はそう言うとウィンクして見せた。なかなかきれいな切り返し方だった。こういうところはさすが社長、洒落たおじさんだった。
 

「でも私は英語教育プログラム担当で介護担当ではないんですけど、・・。」
 

僕はもうあきらめてはいたが、それでも一言言ってやりたかった。
 

「分かっている。でも君しかいないんだ。頼む。埋め合わせはきっとするから」
 

社長はそんなことを言ったが、埋め合わせとは言ってもクレヨン以来この横にいる男食いも含めて何も埋め合わせはしてもらっていないんだけどなあ。
 

「佐山さんは社長の愛が欲しいんでぐずっているんです。女心が分からないんですか」
 

知的美人がまた余計なことを言う。
 

「あんたね、もう一度言ってごらん。二度とそんな口がきけないようにしてやるから。わかってるの。」
 

僕がそう睨むと知的美人は、「おお、こわ」とか言ってその場を離れてしまった。
 

「人の命がかかっているんだ。佐山さん、頼む」
 

社長は僕に向かって真顔で言った。確かに人の命がかかっていることは間違いない。そこまで言われるともう言い返すこともできなくなって「分かりました」と引き受ける以外にはなかった。
 

「じゃあ明日の朝寄るから頼む」
 

社長はそう言うと車で引き揚げて行った。女土方とクレヨンは社長が引き上げると戻ってきた。
 

「結局またあなたが面倒を見るのね。でも今回はそう簡単じゃないと思うわ。社長も早急に考えると言っているし、長い時間じゃないと思うのでみんなで見てあげましょう。いいわね。」
 

女土方がそう言ってクレヨンを見るとクレヨンの奴またビビッて小さく肯いた。中はモニターで監視できるが、それも何だか味気ないし、自分の目で様子を見ておこうと思い、僕はドアを開けると中に入った。奥さんはもうすでにソファで寝ていた。

 

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