太平洋戦争の前半期、日本の戦闘機は海軍が零戦、陸軍は一式戦、二式単戦などが主力だった。零戦は海軍の主力戦闘機として海軍を支えていたが、陸軍は東南アジアや中国で制空や地上支援などに用いている。二式戦は迎撃機として使用されたが、運動性が悪いことや失速速度が高く着陸が難しいなどの理由で好まれなかった。
戦争の前半期は海軍は零戦、陸軍は一式戦で戦ったが、中盤から後半になると米軍の新型戦闘機に押されるようになり、海軍は紫電、紫電改などを戦線に投入、次期艦上戦闘機として烈風を試作した。陸軍は三式戦、四式戦を投入したが、三式戦はドイツから導入した液冷エンジンが不調で稼働率が悪く、四式戦も同様に誉エンジンの不調に悩まされていた。戦局が悪くなってくると一発逆転を狙って実力以上の高性能機に目が行って技術不足からエンジンやその他のパーツの不調に悩まされるようになってしまう。
終戦間際に登場した陸軍の五式戦は三式戦のエンジンを安定した三菱の金星エンジンに換装した機体で性能的にはこれと言って突出した部分もなく当時としては極めて平凡な機体ではあったが、前線のパイロットからは非常に好まれ、高く評価された。一式戦も戦争後半には第一線戦闘機としてはやや時代遅れとなっていたが、これを好むパイロットも少なからずいたというし、零戦も同様だが、少なくとも故障の多い新型機よりも好まれたようだ。
そして最後の零戦である零戦54型(64型)はエンジンを三菱の金星に換装し、軽量化した機体で零戦52型をやや上回る性能を回復し、海軍関係者を喜ばせたと言う。最終的には量産機が出る前に終戦となり実際に戦闘に参加することはなったが、出ていればそれなりに活躍しただろう。
故障の多い新型機が嫌われ、性能的には一段落ちるが、安定した性能を発揮する旧型機が好まれたのは、戦闘ではそこそこの性能向上よりも何時も安定してきちんと数が稼働できる機体が実戦では何よりも必要だったからだろう。戦争末期はすべての日本機の稼働率が低下していたが、それでも安定した金星エンジンと三式戦の堅牢な機体を組み合わせた五式戦の稼働率は燃料と油を入れればいつでも飛べると評されるなど高く評価されたそうだ。零戦54型も実戦配備になれば性能的には平凡だったが、安定した性能を発揮した使いやすい戦闘機になっただろう。四式戦も金星にエンジンに換装された機体が試作されたが、これも速度はやや低下したが、重量が軽くなって飛行性能は向上したと言う。
太平洋戦争中米国などは2千馬力級の戦闘機用エンジンを実用化していたが、技術の遅れた日本は1500馬力級が限界だった。そして三菱の金星と言う安定した性能を発揮できるエンジンがあったのだからこのエンジンを使った戦闘機を作って戦うべきだった。金星エンジンの原型は1931年ころに作られたと言うので10年以上も前の枯れた技術で作られたエンジンだが、それなりに改良されて性能を向上させている。
新型の高性能機も大事だろうが、今を間に合わせるには今使える最善のものの組み合わせがいい結果を生むこともある。このエンジンを搭載した機体は九六式陸上攻撃機、九七式二号艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機、零式輸送機、零式水上偵察機、零式輸送機、瑞雲、一〇〇式司令部偵察機三型/四型、五式戦闘機、キ102、キ116、彗星三三型、零式艦上戦闘機五四型/六四型など決して飛び抜けた高性能機ではないが、実用性の高い使いやすい機体が多かった。当時の軍、特に海軍は栄、誉など中島のエンジンを使いたがったが、三菱の金星、その拡大改良型のハ43などの方が性能的には上だったように思う。人間誰しも状況が悪くなってくると一発逆転を狙いたがるが、しっかり足元を見て一歩一歩確実に進むのが、最善の策なのかもしれない、‥(^。^)y-.。o○。
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