陸上自衛隊の全部隊が参加する訓練が全国各地で行われている。約30年ぶりとなる最大規模の演習だが、食料をトラックに積み込んだり、人員を移動させたりするなど、基礎的で「地味」な内容が中心だ。日本の周辺で緊張が高まる中、本当に自分たちは有事に対応できるか――。訓練の背景には、陸自のそんな葛藤が見える。(渡辺星太)
「地味な訓練」
敵に見つからないように穴を掘って燃料入りのドラム缶を隠す。野外救護所にエアコンを取り付ける。コンテナを並べて中身を確認する……。4日、日出生台(ひじゅうだい)演習場(大分県)や十文字原(じゅうもんじばる)演習場(同)で報道陣に公開された訓練の中身は、淡々としたものだった。部隊が前線で敵と対峙(たいじ)することを想定した演習だが、戦車が走り、ミサイルが発射されるイメージとは異なり、包帯や止血バンドといった衛生用品が入った箱を開封して整理するなど、まるで引っ越し作業のような雰囲気だった。参加した隊員も「地味な訓練ですよね」と汗を拭っていた。
これらの物資は、2~3週間前、北海道や東北など全国の駐屯地から搬出された。民間の船や鉄道、航空機などによって運ばれた物もある。演習場内では、民間ドローンで医療品を運ぶ訓練も行われた。陸自によると、こうした訓練は9月15日から全国各地で始まり、11月末までの約2か月半、全陸自隊員の7割にあたる約10万人を動員して続く。出動前の準備や物資の輸送に焦点を当て、自衛隊が重視する九州地方に全国の部隊を集める点が特徴だ。部隊の派遣は大変な作業だ。1500キロ離れた日出生台演習場に5200人が移動した第2師団(北海道旭川市)の場合、使用した車両は約1800台に上る。長期間の活動に耐えるには、弾薬や食料に加え、洗濯機や浴槽なども必要だ。今回の演習では、全国約160か所の駐屯地などで持参する装備品を点検し、九州までの移動経路を調べた。
兵站に光
いかに早く現場に部隊を送り込み、補給を続けるか。それは自衛隊の活動の根幹に関わる重要なテーマだ。だが陸自幹部は「射撃訓練などに比べておろそかになっていた。部隊の足腰が弱まっていないか、課題を洗い出すことが必要だ」と語る。全部隊が参加する演習は1993年度以来28年ぶりで、陸自トップの吉田圭秀・陸上幕僚長も訓練開始後の記者会見で、補給などを担当する兵站(へいたん)や衛生部門について、「しっかり光を当てて、運用ができる態勢にしなければならない」と語った。
陸上自衛隊10万人動員、28年ぶりの大演習…「いかに早く部隊送り補給するか」課題洗い出し(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
大部隊が戦闘をするには大量の物資が必要である。太平洋戦争当時の1個師団が必要とする物資は武器弾薬、燃料、食料、衣類、医療品など1日に数百トン、現代の師団の必要物資は1日1千トンから1,500トンにも及ぶと言う。太平洋戦争中の日本軍は兵站補給に失敗して多数の将兵を餓死させたが、糧を敵に求めるとか現地調達と言っても最低でも武器弾薬、食料、医薬品くらいは補給してやらないと話にならないし、現地調達と言っても少数の部隊ならともかく何万と言う将兵を養うほどの補給がどこでも可能だとは到底思えない。現在の自衛隊の活動は基本国内だけに限られるが、PKOや同盟国との関係から国外への派遣も多くなっている。そうした部隊に円滑かつ十分な補給は当然必要だろう。どんなに精強な部隊であっても武器弾薬、そして食糧くらいなければ戦えないだろう。部隊の活動の成否は兵站補給にかかっていると言ってもいい。自衛隊が部隊の迅速な展開とともに補給を重視していることは太平洋戦争の戦訓を踏まえた正しいやり方だろう。戦争をして来いと命令するならせめて武器弾薬と食料、医薬品くらいは十分届けてやるべきだろう。帝国陸軍はそれさえできなかった。それにしてもろくな補給もなく何から何まで現地調達で食うや食わずの状態でも太平洋の各地で米軍と激戦を繰り広げ、敗れたとは言え、米軍の心胆を寒からしめた帝国陸軍と言うのはとんでもなく強かったのかもしれない、‥(^。^)y-.。o○。
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