零戦が三菱重工製であり、堀越二郎技師が設計したことは広く知られている。しかし、堀越氏が零戦の次に開発したのが局地戦闘機「雷電」であることは、大戦機マニア以外にはあまり知られていない。今回は、世界に一機だけ現存する雷電と、そこに搭載されるエンジン「火星」をリポートする。(文/鈴木喜生、写真/藤森篤)

雷電が搭載するエンジンは三菱重工製の「火星」
日本帝国海軍が発注し、三菱重工が開発した局地戦闘機「雷電」は、カリフォルニア州にただ一機だけ現存している。ロサンジェルス空港からクルマで東へ1時間ほどの場所にある「プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館」には、各国の大戦機が数多く保存されているが、日本軍機が並ぶハンガーの一番奥に「雷電二一型」は展示されている。残念ながらこの雷電は飛行できない。しかし、私たちはこの機体を詳細に撮影すべく、当館のスタッフに依頼し、ハンガー内のほぼすべての機体を移動してもらって、数十年ぶりに太陽光のもとに引っ張り出した。

機首部分のカウルが開かれると、そこには同じく三菱重工製のエンジン「火星」が現われる。星型空冷複列14気筒、その保存状態は悪くない。各所にサビはまわっているが、固着したオイルが生々しい。これに火が入れば離昇出力は1820ps、時速600km以上の飛行を実現した。独特な形状をした紡錘型の機体胴体は、圧倒的な存在感を誇示していた。飛行可能な零戦五二型も保有するこの博物館では、当初、この雷電もレストアして飛ばす予定だったという。しかし、そのためには部品取りのためのもう一機が必要であり、それが入手できなかったため、静態保存されることになった。

空気抵抗を減らすため、大出力エンジン「火星」を後方にオフセット
この取材で私たちは、雷電と零戦を並べて駐機してもらって撮影に臨んだ。堀越技師による両機のツーショットは、おそらく戦時中でも稀有な光景だったろう。局地戦闘機「雷電」は、基地などの要所(局地)を敵爆撃機から防衛するための戦闘機であり、短時間で高高度まで上昇する必要があった。そのため極力出力の大きなエンジンが求められた。

しかし、当時の日本には単座戦闘機用の大出力エンジンがなく、そのため堀越技師は思案の結果、爆撃機などの大型多発機用に開発された「火星」の搭載を選択した。火星は、零戦の栄発動機よりも直径が190mmも大きい。これをそのまま機首部分に据えると空気抵抗が増す。そのため堀越技師はこのエンジンを、通常よりも後方にオフセットし、機首部分を絞り込んだ。

距離が生まれたエンジンとプロペラは延長軸で接続され、露出度が減ったエンジンのためには、プロペラ後方に強制冷却ファンが搭載された。極太の胴体は、直径の大きな火星を操縦席のすぐ近くまで後退させて収めた結果だ。しかし、試作機のテストを行うと火星の出力不足が露呈する。それを解消するために燃料噴射装置や水メタノール噴射装置が追加されたが、それでも海軍が要求するスペックは発揮できなかった。また、プロペラとエンジンをつなぐ延長軸からは激しい振動が発生。エンジンやプロペラの改修も行われたが、根本的な改善には至らなかったという。これらの問題が解決しないまま戦況は益々悪化した。その結果、雷電の生産規模は圧縮され、製造機数はわずか621機に留まったのである。

元海軍パイロットの証言、「問題の多い機体だった」
このアメリカ取材から帰国した筆者は岡山へ向かった。雷電に搭乗した経験を持つ元海軍パイロットの方にインタビューするためだ。彼は雷電が公式に採用(制式採用)される以前の、開発中の段階からこの機種に搭乗し、雷電だけで組織された最初の部隊の教官を務めた方だった。零戦の二一型や五二型にも搭乗した氏が真っ先に語られたのは、「雷電ほどジャジャ馬な機体はない」ということだった。一番の問題は着陸だったという。零戦のような運動性は二の次とされ、かつ空気抵抗を減らすために、雷電の主翼は機体重量に比して小ぶりな設計となっている。つまり主翼面積が狭いのだ。そのため、主翼の翼面荷重(翼の一定面積にかかる重量)が極端に重い。

ちなみに零戦二一型の翼面荷重が一平方メートル当たり109kgなのに対して、雷電では190kgにもなる。こうした機体では、エンジンの回転数を少し下げただけでも飛行高度はストンと落ちる。機速を落とした着陸時には、それはさらに顕著となるのだ。

「横須賀の滑走路は800mしかなかった、そこに雷電を下すのは至難の業でした」
また、最も印象的だったのは、強制冷却ファンの音だったとのこと。遊星ギヤによって高回転する14枚のフィンからは「キーン」という、まるでジェット機のような金属的な爆音が響き、それは遠方からでもすぐに雷電だとわかったという。

火星エンジンに関しては、「馬力が上がると、すぐにオイルの温度が上がってしまうし、自動車がガソリンを喰うみたいに、どんどんオイルが減っていくんです、それも大きな不都合でしたね」と、証言。雷電は何かと問題の多い機体だったと、その印象を語られた。こうした証言や当時の運用状況から考えて、雷電が高性能な機体だったとは言い難い。しかし、堀越技師が苦心して完成させた機体「雷電」と、同社の深尾淳二が開発指導者を務めた「金星」発動機を、さらに発展させた大型エンジン「火星」は、当時日本の国力と技術力を反映した貴重な産業遺産といえる。その技術は現在の三菱重工業の航空機や自動車開発に連綿と受け継がれているのだ。

取材で訪れたプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館やスミソニアン博物館などには、国内には残存していない日本軍機が数多く、驚くほど良好な状態で保存されている。敗戦国にとっては致し方ないことだが、しかし、とくに航空機に関して、日本におけるこうした遺産に対する認識が、自動車やその他工業製品と同様に、さらに高まることを望むばかりだ。

 

世界に唯一現存する局地戦闘機「雷電」【名車の起源に名機あり】(ベストカーWeb) - Yahoo!ニュース

 

雷電は速度と上昇力を主眼に開発された対爆撃機用迎撃戦闘機だったが、小型高出力のエンジンがなく爆撃機用の直径の大きい火星エンジンを使用したが空気抵抗を減少させるためにエンジンをできるだけ機体の中央に近づけたので操縦席付近が太い紡錘形の機体となりそのために下方視界が悪くプロペラ軸を延長したために振動に悩まされて開発が遅延した。速度と上昇力を求めた割には出来上がってみると運動性が悪いの視界が悪いの着陸速度が速くて殺人機だのと文句をつけられた。着陸性能云々については飛行場を広く作るなどインフラを整備すれば済んだことで当時の海軍は零戦の運動性に憑りつかれて自滅した。雷電の翼面荷重など米軍戦闘機に比較すれば170キロ程度と小さい方で陸軍の2式単戦や4式戦闘機よりも数値は小さかった。火星は一式陸攻や天山などに使われているが、そう悪いエンジンではなかったようだが、雷電とは最後まで相性が悪かった。結局雷電は最後までものにならずパイロットには嫌われ、烈風の開発は遅れ、いいことは一つもなかった。それなら零戦の翼面積を切り詰めて金星を装備した迎撃型を作るか、陸海軍で協議して長距離援護戦闘機は零戦、迎撃機は二式単戦を使うとかすればよかった。でも機銃の弾まで別だからおよそ無理だろう。艦上戦闘機は三菱に任せて局地戦闘機は別の会社にやらせるとかもう少し考えるべきだった。雷電は14試なので翼端切り落とし金星零戦が最も確実だろうと思うが、それも戦争中期には性能不足になるだろう。そのころには川西の紫電が出てくるし、・・。でもまあみんな問題がある機体ばかりだな。やっぱり零戦52型に金星エンジンか。やはり日本は金星零戦と5式戦までか。4式戦も金星の方が安定していたというしなあ。まあ雷電は作るべき戦闘機ではなかったと思う。13試複座戦闘機を単座にして小型化するか、零戦を改造するかしてしのぐべきだった。でも最後には雷電もB29相手に一矢報いたからもって瞑すべきだろうか、‥(^。^)y-.。o○。

 

日本ブログ村へ(↓)