政戦略兵器としての扱いだった「戦艦」
第2次世界大戦の開戦直後には、日本とドイツで、それぞれの国の威信をかけた大型戦艦が登場しています。では、金額的評価は含まずに、その建造の効果や戦果を考慮した費用対効果(コストパフォーマンス)はどうだったか、比べてみましょう。そもそも、まだ航空機が未登場または未発達で、その戦略的運用が行えなかった19世紀から20世紀初頭にかけての時代、「砲艦外交」という言葉に象徴されるように、海軍力はその国の外交戦略の一端を担う存在であり、国力の規模の大小を示すのは、戦艦などの保有隻数でした。

人類初の国家総力戦となった第1次世界大戦が1918(大正7)年に終結すると、戦勝国ですら、それまでかかった莫大な戦費の支出を埋め合わせるため、戦後は緊縮財政を強いられました。結果、それを「国際的なルール」とすべく、限りない軍拡による際限のない軍事費の支出を抑える目的で、「海軍軍縮条約」の締結まで行われました。もっとも、このような建前だけでなく、第1次世界大戦には連合国側で参戦し、フランスやイギリスのように大きな戦渦を被らなかったことで急速に国力を伸ばしつつあった「極東の新興国」日本の台頭を、イギリスやアメリカが抑え込みたいという「裏の意図」もあったようです。こうして、1922(大正11)年のワシントン海軍軍縮条約および、1930(昭和5)年のロンドン海軍軍縮条約によって、日本の軍艦数は、アメリカやイギリスよりも少なくされました。

日本は徹底的に秘匿 ドイツは大々的にPR
一方、第1次世界大戦で敗戦国となったドイツは、戦勝国による敗戦国管理条約ともいえるヴェルサイユ条約により、軍備に著しい制限をかけられており、戦艦の新造は困難でした。しかし世界的には海軍軍縮条約が失効し、ドイツにおいてはヒトラーがヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して再軍備を宣言した結果、日本は1937(昭和12)年に「大和」を、ドイツは1936年に「ビスマルク」を、それぞれ新時代の戦艦として起工します。日本の「大和」とドイツの「ビスマルク」、どちらの新戦艦も、第2次世界大戦が勃発してから就役しました。ところが、両艦の国際的な「立ち位置」は、まさに「陰と陽」「光と影」ともいうべきものだったといえるでしょう。

「大和」は、寸法面でも世界最大で、かつ世界最強の46cm砲を搭載した、額面上は「世界最大最強の戦艦」として誕生したにもかかわらず、日本の秘密主義によって自国民すらも戦中は噂でそのような戦艦の存在を認知しているだけで、日本人が「大和」の正確な情報を得られるようになったのは敗戦後のことです。一方、「ビスマルク」は就役前から「ドイツが誇る最新鋭の戦艦」として国内外に広く宣伝されていました。そして就役後の運用も、日本とドイツでは大違いでした。

敵へ与えた心理的影響と物理的損傷の差
「大和」は、旧日本海軍の戦力の中心である連合艦隊の旗艦にもなりましたが、“期待の怪物ルーキー”として温存され続け、結局、戦争末期に成功の見込みがきわめて薄い一部の作戦に投入された程度で、輝かしい武勲を挙げることなく1945(昭和20)年4月7日に戦没。その生涯における戦果は、最大に見積もっても、アメリカの艦上機を約30機撃墜した程度でした。

一時は1944(昭和19)年10月25日のサマール沖海戦において、アメリカの護衛空母「ガンビア・ベイ」をその砲撃により撃沈したとされたこともありましたが、近年の研究では、「大和」の砲撃はそのような戦果には関与していない可能性がきわめて高いとみなされています。つまり、世界最大最強の次世代戦艦たる「大和」は、さほどでもない機数の艦上機を撃墜しただけに終わったということです。さらに“秘密兵器”同様の扱いが続いた結果、敵を疑心暗鬼にさせて、「大和」に対抗するための軍艦や艦隊を張り付け、自由な戦力運用を妨げるといったような心理的効果をアメリカ側に与える、といったこともありませんでした。

反面、ドイツ戦艦「ビスマルク」は、「大和」とは異なって温存ではなく積極的に戦闘に投入され、初陣でイギリスが誇る巡洋戦艦「フッド」を轟沈させ、最新鋭であった戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を中破させるという大戦果をあげています。しかも実際に砲火を交わす以前から、「ビスマルク」はイギリス海軍の軍艦や艦隊を張り付け、同海軍の戦力運用に不便を生じさせていました。戦艦「ビスマルク」は、短命にも就役から1年と経たない1941(昭和16)年5月27日に戦没しましたが、前述のように敵であるイギリスに対する心理的圧迫と巡洋戦艦「フッド」撃沈などにより、日本の「大和」よりもはるかに大きな戦果をあげたといえるのではないでしょうか。

かような次第で、冷徹な話になってしまいますが、両艦を兵器としての「費用対効果(コスパ)」で比較した場合、筆者(白石 光:戦史研究家)は、同時代に出現したにもかかわらず「大和」は明らかにコスパが悪く、「ビスマルク」でようやくとんとんだったと考える次第です。(白石 光(戦史研究家))

 

日独戦艦「大和」&「ビスマルク」どっちが高コスパだった? 建造前から対照な2艦(乗りものニュース) - Yahoo!ニュース

 

大和型戦艦は太平洋戦争の前半期、特にガダルカナル攻防戦あたりでもっと積極的に活用すべきだった。連合艦隊旗艦で海軍の象徴、しかも決戦兵器ということや動かすと大量の燃料を消費するという問題もあっただろうが、戦争前半期であれば米軍の航空兵力も後半のような圧倒的というレベルには達しておらず、日本側にも対抗できる程度の航空戦力は存在したし、あれだけの重防御戦艦であれば多少の被害を受けたとしても撃沈されることはなかっただろう。米軍がガダルカナルの飛行場を守るために新型戦艦を投入したように日本も旧式の金剛クラスではなく長門級あるいは大和級を投入して飛行場の破壊を目指すべきだったと思う。戦艦が陸上を砲撃するのは愚策と言われていたこともあるし、燃料などの問題もあったんだろうが、貧乏国が爪に火を点す思いで作った最高級品の出し惜しみのように思う。欧州の戦場は海上航空兵力が太平洋ほど強力ではなかったので水上艦の活躍の場はあっただろうし、また水上艦には水上艦で対抗するしかなかったのだろう。英国はビスマルク級を恐れたというが、英国にはあの程度の戦艦を自国の戦艦群で撃沈するに足る十分の力を備えていたのでさほど慌てる必要もなかったんだろうが、通商破壊のために大海に出られてしまうとその捜索が非常に厄介で大戦力を割かないといけないのでそれで慌てたのだろう。それにしても大和型もビスマルクも圧倒的に優勢な連合国の前では討ち死にしかなかったんだろう。大和型が計画された時代であれば飛行機を作った方がいいという意見はあっても弱かっただろうし、艦隊決戦に拘った日本海軍としては数で勝てないなら個艦優勢で大和型を建造しようというのも理解はできる。ただ結果論ではあるが、3万5千トンで14インチ砲装備の高速戦艦を4席程度作った方が使い勝手はよかったように思う。それから工期や資材、予算の問題もあるんだろうけど長門級、伊勢、山城級などの旧式戦艦の砲塔を下ろしても高速化しておけばそれなりに活躍できただろう。大和型は戦争前半期に積極的に使うべきだった。そして低速の旧式戦艦6隻も高速化して活用すべきだった。ゼロ戦の金星への換装とともにこれも残念なことではある、‥(^。^)y-.。o○。

 

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