総集編が23日に放送されたNHKの前期大河ドラマ「麒麟がくる」は、まさかの“ナレ死(最期のシーンが描かれず、ナレーションによって死亡が説明されること)”となった主人公・明智光秀を巡る考察などでいまだ余韻を残している。全話平均14・4%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)と直近10年では5番目の数字を残した同ドラマにあって、損な役回りとなったのはこの武将だった。

「一番のババというか、光秀以上にマイナスポイントが見える役を引いてしまったというのがあるのですが…」

こう振り返ったのは、眞島秀和が演じた細川藤孝(幽斎)のゆかりの地・京都府舞鶴市の学芸員氏。7日の最終回で放送された藤孝の行動が、ネット上で大きな反響を呼んでいた。いわく「裏切り者」。この言葉は主君の織田信長を討った光秀の“定番”だが、藤孝にそのイメージを呼ぶ場面があった。

盟友である光秀から謀反の可能性を察知した藤孝は「急ぎ、備中の羽柴(秀吉)殿に使いを出せ。何も起こらぬことを願うが、あるかもしれぬと伝えよ」と側近に命じた。これが密告と受け取られたようで「一番男を下げたのは細川藤孝さん」「細川藤孝ヘイト高まる」といったネット投稿が相次ぐ一方、「裏切り野郎みたいな終わり方でかわいそう」「ショックでした」との同情も寄せられた。

光秀が信長を殺害した本能寺の変後、藤孝は光秀の参戦要請を断り、隠居したとされる。備中から電撃上京した秀吉軍に光秀は敗れ、三日天下に終わる。藤孝が秀吉「中国大返し」に一役買ったかのような説は珍しいとみられ、新しさを感じた視聴者もいた。

前出の学芸員氏は藤孝密使派遣説について「明らかにそのことを示唆する史料はない。ただ、状況から判断してその可能性はあるとにおわせている研究者はいる」。とはいえ「舞鶴で一番期待していた藤孝の描かれ方が悪役になったので、ちょっとそこは残念だなというのはあります」と複雑な思いを語った。(東京スポーツ)

 

大河「麒麟がくる」明智光秀は衝撃の“ナレ死” 最も損な役回りの武将は…(東スポWeb) - Yahoo!ニュース

 

こういう話は時代ファンタジーで主人公は作者の意思でどのようにも描けるのだが、この話は光秀をきれいに描きすぎだろうな。光秀は実際には40歳くらいまではどこで何をしていたのか良く分からない人間でそれまではずい分と苦労をしたらしい。奥さんは若い時に疱瘡か何かであばた面になってしまって父親が「許婚の姉に変わって妹を娶ってくれないか」と言ったそうだが、光秀はそのまま婚約者だった姉さんを娶ったそうだ。この奥さんも髪を切って売ったりしてずい分と苦労をしたらしい。信長に仕えるようになってそれなりの俸禄を得て落ち着いたらしいが、それまでは家計は火の車だったらしい。そんなこんなで苦労人だったせいか、家族に対する思いは人一倍だったと言う。城持ちとなり、信長に一生懸命仕えたが、様々意見を異にすることが多くなり、自分も用済みで切り捨てられるのではないかと思った光秀が信長と後継の信忠が大した護衛も連れずに京都にいると言う千載一遇の機会を得て一族の存亡をかけて謀反を企てたと言うのが事実だろう。主だった武将に計画を打ち明けた時に賛同したのは信長に切腹を言い渡された斎藤利三一人で残りはすべて反対だったそうだが、光秀の決意が固いので従ったそうだ。変を起こした後の行動も場当たりで計画性などないので千載一遇の機会を得て急遽思い立ったんだろう。細川藤孝も裏切り者のように描かれては気の毒ではある。「やっちゃったから味方してくれ」と言われても細川藤孝も自分の一族の安全を考えたんだろう。光秀は変後に朝廷の承認を得るために安土でうろうろしていて時間を浪費して秀吉に敗れたが、あれだけ見事にクーデターを成功させたのだから、すぐに中国地方に向かって毛利と組んで秀吉を攻めてこれを破ったら義昭を奉じて京に戻ると言う手もあったんじゃないか。信長を討って信長に追放された将軍を京に連れ戻して幕府を復活させると言えば筋は通る。まあご本人に聞いてみないと分からないが、天下安泰、万民平穏などを願って謀反を起こしたわけではないことは確かではある。あの時代、天下万民の平和よりも一族の繁栄安泰が何よりの時代だったんだから。最も今でもそうかもしれないが、・・。しかしながら理由は何であれ謀反などと言うのはやはり卑怯ではある。何でもありの戦国時代でさえあれだけ完璧な成功を収めていても誰も味方をしなかったのだから。細川藤孝も事前に光秀の謀反を知っていれば間違いなく信長に通報しただろう。謀反は伸るか反るかの一世一代の賭け、もしも光秀が失敗すれば事前に知っていた自分も連座して処分されることになる。やはり謀反は引き合わないと言うことだろう、‥(^。^)y-.。o○。

 

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