2019年12月1日、茨城県の航空自衛隊百里基地で航空祭が開催されました。今年度で第501飛行隊が解散、来年度は第301飛行隊がF-35Aに機種転換と、航空自衛隊のF-4飛行隊にとって最後の航空祭ということもあり、多くの人が別れを惜しんでいました。航空自衛隊におけるF-4ファントムの歴史は、1972年に百里基地で臨時F-4EJ飛行隊(のちの第301飛行隊)が新編されたことから始まりました。そのF-4飛行隊発祥の地に残された最後の飛行隊である第301飛行隊と第501飛行隊も、F-4最後の年を迎えます。
日本のファントム飛行隊最後の航空祭ということもあり、日本国内のみならず、世界中からF-4ファントムのファンが集まりました。筆者が出会った中では、アメリカ、フランス、ドイツ、台湾など。基地内は混雑が予想されたため、レジャーシートや脚立、三脚などの持ち込みが禁じられ、手荷物検査場で見つかった場合、使用禁止品エリアに置いていくことが求められました。駐機場には大型モニターが設置され、遠くからでも飛行機の様子が分かるように配慮。車椅子など、ごった返す地上展示機の周辺に行けない人でも楽しめる工夫がなされていました。
2019年度限りで「偵察航空隊」という組織自体がなくなってしまう偵察航空隊・第501飛行隊では、各地の航空祭に「お別れツアー」で参加する際、機材繰りの都合でどの機が参加しても大丈夫なように、全ての飛行機にスペシャルマーキングを施していました。
「米空軍の主力戦闘機と同種の機体を装備できる」と鳴り物入りで導入された当時世界最強の制空戦闘機F4EJファントムⅡだが、半世紀にわたる任務を終えて引退か。今では米軍のパイロットなどに「まだ飛んでいたのか」と驚かれることもあるというこの機体も導入当時は世界最強の戦闘機で向かうところ敵なしだった。巨大なエンジン2基を積んで空力的に問題があるとも言われたが、そのパワーが余裕を生み、艦載機譲りの低翼面荷重と余剰推力で機敏な機動性を誇った。1958年に初飛行した機体は現代の戦闘機から見ると野武士のように武骨だが、その武骨さが魅力の戦闘機だった。偵察飛行隊は解体されて通常の戦闘飛行隊になるそうだ。偵察は無人機に引き継ぐのだろう。F4EJファントムⅡは途中改良されて能力が向上しているがさすがにもう寿命だろう。お疲れさま、・・(^。^)y-.。o○。
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