家に着くと何だかぐったり疲れた。取り敢えず着替えてから選択でもしようかと思っていたところに女土方、クレヨンに知的美人までやって来た。
 

「お帰りなさい。大変だったわね」
 

女土方は優しい口調でそう言った。それを聞いて何だかほっとしてしまって涙が出そうになってしまった。
 

「あれ、どうしたの。泣いているの」
 

目ざとく見つけたクレヨンが半ばからかうようにそう言った。僕はクレヨンに歩み寄ると抱え上げてベッドに投げ落としてやった。
 

「何すんのよ、野蛮人が。せっかく心配してやったのに」
 

クレヨンは口を尖らせて文句を言った。
 

「もう一回言ってごらん。今度は床に投げ落とすわよ」
 

クレヨンはこいつ本当にやりかねないと思ったのか、ベッドから飛び上がるように降りると女土方の後ろに隠れて「全くいくつになっても野蛮人なんだから」と毒づいた。
 

「帰ってくればすぐにこれなんだから仲がいいのか悪いのか。でも澤本もさみしかったみたいよ、あなたがいなくて。ね、そうでしょう」
 

女土方がクレヨンを振り返るとクレヨンは「こんな暴力女、いない方が静かでよかったのに」などとまだ毒づいていた。
 

「それでどうだったの。社長と二人きりの御忍び旅行は、・・。何か楽しいことがあった」
 

今度は知的美人が口を出し始めた。楽しいことかどうかは別にして何かあったと言えばそれは間違いないんだけどまさかそんなことを口に出すわけにも行かないので「食事とかいろいろごちそうになったわ。向こうの社長さんにも。おいしいものを食べ過ぎて太ったかも、・・」などと適当にごまかしておいた。
 

「ねえ、雪で足止め食ってホテル取れたの。大変だったでしょう」
 

知的美人が痛いところを突いてきた。まあでも一部屋しか取れなかったなんて知っているはずもないから適当にさばけばいいと思っていたら「一部屋しか取れなかったとか言うんじゃないの」といきなり言われてギクッとしてちょっとあせってしまった。
 

「向こうの社長さんが取ってくれたわ。コネがあるとかで、・・。」
 

「でも今なんか動揺してなかった。何だか消耗した顔しているし本当は一部屋で励んできたんじゃないの、社長と二人で、・・」
 

知的美人は僕の心の動きを探るように危ない言葉をかけてきた。僕はいい加減面倒くさくなって知的美人もクレヨンのように担ぎ上げるとベッドの上に落としてやった。
 

「ああ、もう疲れているのにくだらないことばかり言って面倒くさい。今度は床に落とすらね。さあ片付けするわよ。みんなどきなさい」
 

僕はバッグから洗濯物を引っ張り出すと階下のクリーニングルームに降りて行った。なんたって知っているわけもないのに危なくて仕方がない。クリーニングルームで洗濯をしながら昨夜のことを取りとめもなく思い起こして考えているとそこに女土方が入ってきた。
 

「いろいろ大変だったでしょう。お疲れ様、あなたにはあれこれ押し付けてしまって何も助けてあげられなくてごめんなさい」
 

女土方にそう言われると何だかあれこれ背負っていたものが肩からすっと消えたような気がした。僕は立ち上がって女土方のところに行くと彼女を抱きしめた。ずいぶん久しぶりの感触と女土方の匂いが僕を包み込んで何だか涙が出そうになってしまった。
 

「どうしたの。あなたが涙ぐむなんて、・・。泣きたかったら泣きなさい。」
 

女土方は優しかったが、その優しさでかろうじて踏み止まった。そしてそっと女土方から体を離した。
 

「大丈夫、なんだかちょっと疲れただけ、もう大丈夫」
 

僕はそう言ってほほ笑んだつもりだったが、ほほ笑んだのかどうか自分の表情に自信がなかった。その後、何とか気持ちを持ち直して休もうとしたら知的美人が絡んできたのでこれを邪険に撥ね退けて寝てしまった。
 

翌朝はよく寝たせいかかなり気分もすっきりして快調だった。出社するとまず社長のところに挨拶に行った。これは礼儀もあるんだろうけど何よりも自分の気持ちを確かめたかったからだった。社長室の入り口で「佐山です」と声をかけると北政所様の声で、「ああ、出張お疲れ様、どうぞ」とお許しが出た。中に入ると社長はコーヒーを飲んでいた。
 

「社長、出張お疲れさまでした。三日間、あ、いえ、四日間でしたけど、いろいろお世話になりました。ありがとうございます」
 

僕がそう挨拶をすると社長は意味ありげにニヤッと笑って「ああ、本当に大変だった。佐山さんにはいろいろ世話になってしまった。お礼を言うのはこっちだよな」と応じてくれた。まあいろいろ大変だったのは事実だし、お互いにいろいろ世話をしたりされたりしたことも事実だが、まあそれは済んだことだし、迂闊に口走ったりした日にはえらいことになってしまう。でも社長に対する恋愛感情のようなものはほとんど消えていたのでちょっと安心したが、親近感のようなものは強まったかもしれない。
 

「出張中、佐山さんには公私ともにずいぶんお世話になったそうで私からも一言お礼を言わせてもらうわ」
 

後から突然北政所様にそう言われたにはびっくりしてしまった。返事をするのに「あ、あ、あ・・。」とかちょっとどもってしまたほどだった。社長はそんな僕を涼しい顔をしてみていた。
 

「お世話なんてとんでもありません。社長にご迷惑ばかりかけて却ってお世話になったのは私の方です。本当にありがとうございました。いろいろ有意義な出張でした」
 

やっとのことで僕がそう答えると社長が吹き出した。
 

「まあ、そんなこんなで『無事これ名馬』と言うところかな」
 

「私が行ければ良かったんだけどちょっと体調が悪かったし、社長が私じゃダメと言うので代わってもらったの。迷惑かけてごめんなさいね」
 

ここでこれ以上話をしているとどんなぼろを出すか分からないので「いろいろありがとうございました。お疲れさまでした」と言って逃げ出そうとしたら社長が「あ、佐山さん、出張の旅費や日当は庶務で受け取るように。もう話はしてあるので。清算は僕の方でしておいたのでそのまま受け取ってくれればいいから。」と言った。航空券は会社手配で受け取っているし、ホテル代は社長が支払って清算しているし、あとは何があるんだろう。社長室を出て庶務に顔を向けると「あ、佐山主任、辞令と手当てが出ていますので印鑑を持って受領願います」と言われてまた驚いた。
 

「北海道札幌市出張中の4日間、『特任専務秘書を命ずる』」


とか言う辞令でその手当としてかなりの額の現金を渡された。もちろん、明細がついていて税金もしっかり引かれてはいるが、それでもそこそこの金額になっていた。これって口止め料だろうか。まあうちの社長は口止め料なんてそんなに料簡の狭いことはしないだろうからまあ出張手当なんだろうと言うことでありがたくいただいておくことにした。断る理由もないし、正規に支給されるものを断ること自体が極めて不自然だろう。
 

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