社長はまた「アハハ」と笑った。
「まあ正直ちょっと辛いものはあるけど僕自身の考えを言えば、僕は佐山さんとの今のこの関係を壊したくはないんだ。僕にも守るものがあるし、佐山さんだってそうだろう。それに佐山さんは僕一人のものになってはいけない。佐山さんはみんなにとって大切な人なんだからね。まあこのまま朝まで起きていてもいいじゃないか。今のこの時間て僕にはとんでもなく貴重な時間かもしれないし、そんな貴重な時間を寝てしまってはもったいないじゃないか」
社長はそんなことを言うが、本気なのか冗談なのか理解しかねた。でも男としてこの状況を続けるのは辛いだろうということは良く分かる。
「社長、手でしましょうか。」
他人にしたことはないが自分のなら昔からずい分とやっているので多分大丈夫だろうし、手でするくらいなら問題はないだろう。
「いや、そんなことを佐山さんにさせては申し訳ないし、僕も恥ずかしい。それにそんなに若くはないんで大丈夫だよ。心配してくれてありがとう。」
社長はちょっと照れたような表情を見せた。もしも立場が逆だったら僕もやんわりと断るだろう。
「朝までまだ長いなあ。どうしようか」
社長は天井を向いたまま独り言のようにつぶやいた。
『どうしようたってどうするんだ。寝るかやるかしかないだろう。』
僕は口に出さずにつぶやいた。社長はそれとなく誘っているんだろうか。
「社長のお好きなように、・・」
こうなったらこっちも覚悟を決めざるを得ないだろう。まあ社長なら何とか受け入れられるかもしれない。
「こっちに来いよ」
社長は一言そう言った。僕はもうほとんど覚悟を決めて社長の方に向き直った。社長は僕を自分のそばに引っ張り込むとさっきのようにやさしく抱いた。
「さあ寝るか。せめてその努力はしよう」
そう言うと軽く僕の背中を叩いた。どうも本当に何もする気はないようだった。
「佐山さん、君とこんなところでこんなことになるなんて想像もしなかった。正直なところを言えば僕は今自分の中の男の部分と必死に戦っている。それはそうだろう。君のようないい女とこんなところで誰にも邪魔されずに二人きりでいるんだから。まあ君が受け入れてくれるかはまた別の問題だけどその気になればなんとかなるかもしれない。でもなあ、君とはずいぶん長いこと付き合ってきていろいろなことがあったけど君ってだれか一人のものじゃなくてみんなの佐山さんなんだよな。まあここで何かがあったからって僕が君を独り占めできるかどうか分からんけどでもやっぱり君はみんなの佐山芳恵なんだよな。しかし辛いよな、実際、・・。君が男と言うなら良く分かるだろう」
僕は社長の言うことに全く納得してしまった。
「とても良く分かります。だから手で楽にしてあげましょうか。」
そう言って僕は社長を見た。社長も僕を見ていた。
「そんなことをしたら襲いかかって大変なことになる。」
「そんなに言われると恥ずかしいです。こんな得体の知れない中年女のことをそんなに言ってもらって、・・。でも私、男だから男の人とは絶対に交われないと思っていたけど何だか今社長だったらできそうな気がします。私も自分の中の女の本能のようなものと戦っています。自分を抑えようとする理性と社長の前に体を投げ出して自由になろうという本能と大激戦です。どっちが正しいのかわかりません。どっちも正しいような気がするし、どっちも間違っているようにも思えます。でも人の感情なんてそんなものかもしれませんね。」
社長は僕を真直ぐに見た。
「佐山さんは僕が好きなのか。だからそうして葛藤しているのか」
僕は真顔でそう聞いてきた社長を見て笑ってしまった。
「社長のことは好きです。でもそれは上司としての話で男性として好きとか愛しているわけではないと思っていました。でも今どうしてこうして葛藤しているのか自分でもわかりません。私の中の女の本能がうごめいているとしか思えません。あるいは好奇心と言う男の本能かも。社長だって私を愛しているわけじゃないでしょう。私がどんな女か、抱いたらどう変わるのか、そんなことに興味を持っているんでしょう。私もそうだったから良く分かります。この女、どんな体をしているのか、その時どんな声を出すのか、どんな顔をするのか、何を言うのか、愛よりもその類の好奇心が男を動かしているんです。そうじゃないですか。」
「まあ不謹慎だけど確かにそういうところはあるかもなあ」
社長は意外に簡単に認めた。
「社長、女になってそれがどんなものなのか体験してみたいと思ったことはないですか。」
「え、女になって、・・女のセックスどういうものかってことか。それはないなあ。」
「私、ずっと以前に、まだ男だったころに悪仲間と戯言でそんなことを話し合ったことがあるんです。結構盛り上がりました、その場の雰囲気が、・・。次は女に生まれてみたいというのから一度女になってみてちょっと体験してみたいというのまで、もちろん、そんなことができるはずもないのを承知の上での話でしたけど。」
社長はひょいと起き上がって僕を見た。
「それで佐山さんはどうだったんだ。」
「私はね、好奇心が強い方だったんで興味はありました。でももし女になってするんだったら誰とならできるんだろうと言うと考えてしまって。結局、男の自分となら、・・と答えたらみんなから『何というナルシストだ』と非難轟々でした。でもそれが現実になるなんて夢にも思いませんでしたけど。」
社長は「アハハ」と笑った。
「楽しい仲間だったんだねえ。その人たちはどうしているんだ」
「自分がどこの誰だか分からないのでどうなっているのか全く分かりません。誰か知っている人がいたらこっちが教えてほしいくらいです。」
社長は「うーん」と一言うなって黙ってしまった。そしてしばらくしてから何とも言えない口調で話し出した。
「そんな話を聞いているとなんだかわけが分からなくなって来るなあ。第一、そんな体が入れ替わる。おっと人間が入れ替わったのかもしれないが、じゃあ、元の佐山さんはどこに行ったんだってことになってしまう。やっぱり僕は何か劇的なことが起こって佐山さんの性格と言うか人間性が変わったんだと思うけどなあ。でもそれにしてもの変貌だから今佐山さんが言っていることが本当なのかななんて思うけど、でも、あなたは女なんだろう。」
「そうですね。ハードは正真正銘の女です。でもソフトは正真正銘の男です。ただ暮らして行き易いように装っている部分はずいぶんありますけど、・・女らしくというか、まあその類に、・・。」
「やっぱり僕にとって佐山さんは身震いするような魅力的な女性だよな。あなたが男と言うその性格も含めてさ。」
社長はベッドから立ち上がった。何をするのかと思ったらコーヒーを入れ出した。
「なんだか眠気も飛んでしまってのどが渇いたな。佐山さんも飲むか」
社長は僕を振り返った。僕は慌てて起き出して「私がやります」と言ったが、社長に「慣れているから大丈夫」と制止されてしまったのでベッドサイドに腰かけて社長がコーヒーを入れるのを見ていた。
「社長、北政所様とは一緒に暮らしているんでしょう。」
コーヒーが落ちるのをじっと見つめていた社長は驚いたように振り返った。
「僕は僕、彼女は彼女で暮らしている。一緒に過ごすこともあるけど彼女が私生活を束縛されるのを嫌がるし、僕自身も自由気ままな方が良いのでね。」
「お互いに愛し合っていないんですか。お二人とも、・・。」
社長は「アハハ」と声をあげて笑った。
「そりゃあ信頼関係はあるけど今更愛も恋もないだろう。まあいうならばお互いになくてはならないパートナーのようなものかな。恋愛も自由、向こうは『どうぞ』と言っている。僕も『どうぞ』かな。まあでもそんな相手もいないし、その気もないけど、・・おっと、今は全く状況が違うな。」
そう言うと社長はコーヒーの落ち具合を確かめて僕の方に『はいよ』と言う感じで渡してくれた。
日本ブログ村へ(↓)