来年の大河ドラマで明智光秀が放映されるためか、信長さん関連の話題が多い。本能寺の変については以前も書いたが、光秀君の単独犯と思っている。共犯があるとすれば家臣だろう。理由は転嫁を狙ったわけではなく単に一族と配下の家臣の生き残りのため。


光秀君は信長さんに重用されてきたが、もともと考え方に隔たりがあった上に変の前には家臣の問題、四国長宗我部政策などで意見を異にしており、佐久間や林などの織田家重臣の追放などで自分の身も危ういと考えるようになった。多分、斉藤利三などからの突き上げもあったんだろう。


当時としては終活に入る年齢の光秀君、揺れ動く気持ちを前に一族と家臣の生き残りをかけて千載一遇の機会をとらえてクーデターを起こし、完璧な成功を収めた。もしも黒幕や共犯がいたのならあれだけ完璧にクーデターを成功させたんだからその時点で行動を起こすだろうが、そうした行動は誰も起こしていない。光秀君も細川藤孝などに必死の支援を求めているのは共犯がおらず単独犯だったことの証拠だろう。


信長さんは天才的戦略家でその点では恐るべきエネルギーを発散させ、また能力を発揮したが、配下の家臣の管理はずい分と甘いところがあった。武将は利益で動くと信じ、それなりの報酬を与えておけばいいと合理主義者にありがちな単純な思考で武将を管理していた。


また配下の武将に対して自身の方針の説明を怠っていたのはよろしくない。天才であればあるほど凡人には理解がしがたい部分がある。そうした部分から隙間ができて疑惑が生じると取り返しがつかなくなる。浅井も松永も荒木もそうした行き違いから疑心が生じた結果だろう。そして光秀君もそうだろう。もう少しきめ細やかには以下の武将に接していればそうした行き違いは起こらなかったかもしれない。信長さんは日本史上、不世出の天才戦略家ではあったが、すべてに天才であったわけでもない。秀吉君が天下を取ってから、「俺は信長のように甘くはないぞ」と言ったそうだが、確かに人事管理に関しては信長さんは甘いところがあったように思う。でも、サルのくせに「信長」と呼び捨てにするか。


で、仮に信長さんが本能寺の変に遭わず、あるいは変が起こらずに生き残っていたらその後どうしただろう。信長さんは統一がなって平穏になった世の中を収めることにはあまり興味がなかったんじゃなかろうか。おそらくは織田政権の体制を作って信忠君に任せたら外に興味を向けて海外にでも出て行ったんじゃなかろうか。


信長さんは朝廷からの官位を受けたがらなかったので自分が天皇にとって代わろうとしていたなんて話もあるが、朝廷がいかなるものかはきちんと承知していたようだし、世論を非常に重視する信長さんとして自分が天皇に取って代わることがどういうことかは分かっていたはずだ。どちらかと言えば信長さんに政権を担当してほしかったのは莫大な援助を得ていた朝廷の方ではなかったんじゃなかろうか。武力もあれば統治能力もある。そして莫大な経済的な援助もしてくれる。こんなに都合のいい武将はいない。


征夷大将軍でも関白、太政大臣でも好みの官職を授けるという朝廷に色よい返事をしなかったのは「官職をくれるなら体制を作り上げた後で息子の信忠にやってくれ」と言うところじゃなかったんだろうか。自分はまず大阪に城を作って根拠地としてまずはフィリピン、その後、インド、エジプトと駒を進めて行って最後はヨーロッパまで貿易の手を広げたかったんじゃなかろうか。信長さんの時代では本能寺の変が起こらずに生き残っても10年か15年が寿命だろう。その間にどこまでできたか分からないが信長さんの目は海の向こう、ヨーロッパを見ていたんじゃないだろうか、・・(^。^)y-.。o○。

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