戦国時代に信長さんが登場しなかったらどうなっていただろうか。まず秀吉君は歴史には登場してこないだろう。家康タヌキも今川の一武将で歴史の片隅に名を残す程度だっただろう。明智光秀も足利義昭に仕える一武将で終わっただろう。武家でも何でもない下層階級の秀吉君はおそらく商家の番頭になるか、地方豪族の部下として才能は振るったかもしれないが、出自を重視するあの時代では世に出ることはなかっただろう。家康タヌキも最終的に徳川幕府を開いたから神様に化けて「野戦の天才」などと称賛されるが、実際に戦闘は決して強くはないと思う。


大体、あの時代に天下を平定しようなどと言う考え方を持った武将と言うのが存在していないのでその後がどうなったかなど考えも及ばないが、当面、京都周辺は三好や六角が押さえて足利幕府を担いで牛耳っていたが、その勢力は京都周辺だけでその軍事力もそう大きいとは言えない。朝倉も筋が通っていないし、浅井も力不足、武田信玄も将軍から「信長を討て」と言う命令を受けて腰を上げたが、自分で天下を平定するという発想はない。上杉はそんな野望は全くない。毛利も腰が引けている。北条も地方武将で満足している。


大体、この時代、天下などより大事なものは自国の領土拡張とその保全で天下平定など「自分のことで手一杯でそんな余計なことしてられるか」だったんだろう。光秀の謀反も秀吉、家康黒幕説などは論外だが、明智家の家名と領土の保全でこれなら明智に仕えた各武将も自分たちの存亡がかかっているから納得するだろう。信長さんに蹴飛ばされた遺恨など武将に打ち明ければ「そんな個人的なことで我々の立場を危うくしないでください」と断られるだろう。天下を取るなどと言えば「足元を固めるのを先にしてください」と言われるだろう。


信長さんを倒して室町幕府を復興して恩を売ってその下で生きる方が明智家は安泰と言うのが謀反の動機なんだろうと思う。光秀は当時の秀才だったが、秀才と言うのは権威が作るものだから権威に擦り寄りたがるのは当然だろう。当時の権威とはやはり朝廷であり足利幕府だった。


話を戻すと結局京都周辺は三好、六角などが幕府を担いで支配し、それ以外は群雄割拠と言う状態が長く続いたんだろうか。それでもいつかは時代を平定する人物が出てきただろうけどそれは今の歴史とは全く違う人物になるかもしれない。


あの時代に「誰もが笑って暮らせる世の中を作る」と言って、尾張の一地方武将から立ち上がって20年で中部から近畿一円を支配下に置いて統一支配権の確立と言う政治目的を確立した信長さんと言う人はやはり日本史上不世出の天才戦略家だったんだろう。本能寺の変がなくてもうしばらく、10年か15年程度だろうか、信長さんが生きていたら国内体制を固めて信忠と自身の近習に任せて自分は海外に出て行こうとしたんじゃないだろうか。それも武力侵攻と言うんじゃなくて自身の興味を満たす貿易と言う形で、・・。ただその辺で信長さんの生涯が終わりそうに思う。


その後、織田政権が続くか、秀吉、あるいは家康に乗っ取られるか、乗っ取られる可能性の方が高そうだが、それは信忠がどの程度体制固めができるかにかかっているだろう。それにしてもあの時代にあれほどの天才が彗星のように出現して統一国家形成と言う政治路線に筋道をつけて部下の謀反で消えて行ったというのは歴史の偶然の必然性を感じさせる出来事ではある、・・(^。^)y-.。o○。


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