先日地上波で「本能寺ホテル」を見てすっかりこの映画にはまってしまった。録画したのだが、CMが鬱陶しいのでDVDまで購入してしまった。映画のストーリーは他愛もないもので特に主役の姉ちゃん側の現代劇は話が飛び過ぎてなんだか支離滅裂のようにも思える。登場人物もあれこれ勝手なことを言うが何とも脈絡もなく「だから何なんだよ」と言いたくなるようなものだ。まあ、やりたいことがあったらうやむやにしないでやっておけよと言うところだろうか。


信長さん側の話も主役の姉ちゃんが本能寺の変の1日前にタイムスリップするというものだが、タイムスリップやタイムトラベルはSFなどではよく使われるネタだが、終わってしまった世界に行くことやまだ実際に始まっていない未来に行くのは不可能だと思う。


異次元に別の世界があるというならその世界は無限に存在することにもなる。まあ光の速さを超える乗り物に乗って過去の光を追いかければ光が減衰していなければ当時の様子を見ることはできるかもしれないが、その乗り物を作るのが大変だろう。


相対性理論では光の速度を超えるのは不可能と言うが、実際には光の速度を超えるものがあるらしい。まあでもそんな乗り物は当分できないだろう。映画自体はまあファンタジーものとして普通の出来だと思う。


では何が良いのかと言うと信長さんのキャラクター設定がなかなかいい。大体、信長さんと言うと実行力はあるが、傲慢不遜、冷酷非情の破壊者で最後は天皇に取って代わって神になろうとしたなどと言われるが、これは秀吉が信長さんを超えようとして貶めたのに加えて江戸時代の刺激的娯楽を求める風潮が作り出した、いわば、劇用のキャラクターで実際の信長さんとは少し、あるいは相当に違うように思う。


戦国時代の設定自体が以前は有力戦国大名が上洛を争って天下を目指して戦いに明け暮れたようなことを言っていたが、実際には誰も天下など目指してはいなかった。室町幕府の権威が失墜して世の中に下克上の風潮が満ち溢れるとそれぞれ有力大名は自国の領土拡大のために戦を繰り返していた。「天下、そんなものは幕府と朝廷でよろしくやってよ。利益があることなら手を貸してもいいけど、・・。」とそんなものだったと思う。


そんな中で尾張の一地方企業の若社長のような立場だった信長さんは「人が笑顔で生活できる世の中を作ろう。」と社内の内紛に苦しみながらも立ち上がる。自分でスカウトしてきた親衛隊とともに実弟を頭にいただく反対派を潰し、領土拡張を企てて侵攻してきた今川氏を劇的な桶狭間の勝利で破り、京都への足掛かりとした美濃を7年かけて手中にして浅井と結んで京都への筋道をつけたが、その後は浅井、朝倉の反攻や一向一揆、比叡山延暦寺など仏教勢力にも苦しめられながらそれぞれ各個撃破して天下平定まであと一歩のところで光秀の謀反に倒れた。


魔王とか何とかいうよりも地方企業の若社長が自分の理想を掲げて常に先頭に立って全力投球で自分の理想に向かって突き進んでいたように思える。信長さんは頭に超がつく合理主義者だったので自分の目標実現のためには手段を択ばないところもあったし、当時の常識では計り知れない部分もあったし、仕事には極めて厳しく、癇癪持ちで他人の意見を聞かないところもあっただろうから、そうした部分を取り集めて傲慢不遜、冷酷非道と言うのかもしれないが、実際には人にはかなり優しかったようだ。


また当時の常識とはかけ離れたことをしていたようにも見えるが、やっていることは一貫性があり合理的で魔道などと言うには当たらない。また非常に明晰で合理的な思考をする人なのであの姉ちゃんのことを考えれば「お前は未来から来たんだろう」と理解したとしても不思議ではない。何しろ地球が丸いということもその地球の上には自分たちとは違う人間が違う文化を持って生活していることも一瞬で理解するほどの能力の持ち主だからあの姉ちゃんを見ていればどうしてこの世界にいるのかその理屈はともかく違う時代の人間だという結論を下すには容易いことだろう。


信長さんと光秀の間には確執があってそれが謀反の原因になったと言われるが、それは江戸時代の作り話で実際に信長さんが光秀をいじめたということはない。ただ土台が全く違う人間同士なので意見の相違があって腹を立てた信長さんが光秀をけ飛ばしたくらいはあったかもしれない。信長さんは近習や自分の息子まで蹴飛ばしまくっていたそうだから、・・。だから癇癪持ちで傲慢不遜なところはあるが、非常に合理的な考え方をしてまた人にやさしいというあのキャラクターの設定はかなり信長さんの実像に近いんじゃないかと思う。


ただ一つ決定的に違うところは謀反を知っても「逃げも隠れもしない」と言ってそのまま討たれたところで実際の信長さんだったら自分が光秀の謀反を納得したら何をおいてもまずは一目散に安全圏に逃げ出していただろう。ただ逃がしてしまったらその先どうするか、どう話を展開するのか、想像もつかなかったことから権力を手にした自分が傲慢不遜になって部下さえも幸せにしてやれなかったことを悔い、誰もが笑顔で暮らせる世の中を作るにふさわしい後継者を秀吉として自身は光秀の謀反を莞爾として受けて死んでいったことにしたんだろう。


その辺は見ていて、「あんたは金ヶ崎でも不利を承知したら真っ先に逃げただろう。今回も早く逃げろよ」と切なくなるところはあるが、確かに助かってしまったらその先どうなるのかは想像もつかないので娯楽映画としてはあれで良いのだろう。これまでの信長さんと言うと甫庵信長記辺りのイメージが強いのだが、この話を見ていると実際の信長さんてもしかしたらこんな人だったのかもしれないと思ってしまうところはある。堤真一と言う俳優もなんとなく信長さんの肖像に似ていないか、・・(^。^)y-.。o○。

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