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 クレヨンと北の政所様との面談は僕と女土方の和解後ほどなく都内某ホテルで行われた。僕は女土方とクレヨンを連れてホテルに向かった。クレヨンが何時になく無口で緊張しているのがやや印象的だった。僕はこんなサルでもやはり緊張するものなんだと思いながら様子を窺っていた。女土方もそんなクレヨンの気持ちを察したのかやや緊張の面持ちだった。

 ホテルに着くとクレヨンが「やっぱり会いたくない。」とぐずり出した。この野郎、こんなところまで来てつべこべ抜かすと切り刻んでお堀の鯉やナマズの餌にするぞ。

「もうここまで来たらあなたには会うだの会わないだのという選択権はないの。いやだというなら簀巻きににして担いでも連れて行くからね。いいわね。」

 僕はクレヨンを思い切り脅かしておいた。こいつは母親に会いたくて仕方がないのだが、誰かに甘えて自分が楽に立ち回ろうとしているんだ。

「またあ、分からない言葉を使って。簀巻きってそれ何よ、全く。」

クレヨンはまた口を尖らせて文句を言ったがその眼にはすがり付くような甘えが見て取れた。

「あなたのことなんだから自分で行くのよ。もしも本当にいやだったらそう言いなさい。私が行って断ってくるから。」

 クレヨンは僕の言うことに不安そうな顔をした。何だかんだ言ってもこいつも会いたいんだから素直になればいいのに。

「ちょっとおいで。」

僕は手招きしてクレヨンを呼ぶと近寄ってきたクレヨンを懐に引っ張り込んで抱き締めてやった。

「いいわね、余計なことを言うんじゃないのよ。分かったわね。」

「分かった。」

クレヨンは小さな声でそう言った。

「分かったらさあ行きなさい。部屋番号は知っているわね。」

 クレヨンは黙って頷くとエレベーターの前に進んだ。そして僕たちを振り返ると黙って小さく手を振ってからエレベーターの中に消えて行った。

 それから小一時間、僕たちはラウンジでクレヨンが戻るのを待った。僕はあまり気にしてはいなかったが、女土方はずい分気を揉んでいたようだった。そのため僕よりも先にエレベーターを降りてこちらに向かってゆっくり歩いてくるクレヨンを見つけた。

「あ、戻って来たわ。」

 女土方が立ち上がってクレヨンの方へ歩み寄った。そんな女土方がクレヨンの母親のように見えた。
僕たちの前に立ったクレヨンは目が少し潤んでいた。

「会って良かったでしょう。」

 僕がそう言うとクレヨンは黙って僕に抱きついて来た。僕はクレヨンを抱き止めて軽く背中を叩いてやるとそっとクレヨンを押し戻すようにして体を離した。僕から離れたクレヨンは次に女土方に抱きついた。

「よかったわね。」

女土方が少しかすれた涙声で言うとクレヨンは何回も大きく肯いた。早く帰って金融翁に話したいと言うクレヨンの希望を汲んでラウンジのお茶代を清算してホテルを出ようとしたところ僕たちは丁度エレベーターを降りて来た北の政所様と社長に出会ってしまった。

 クレヨンは恥かしかったのか一歩引いてしまって女土方の後ろに隠れてしまった。向こうも近づいて来なかったので僕たちは数メートルを隔てて見つめ合うことになってしまいお互いの間が何となく間の抜けた白けた雰囲気になり始めた。仕方がないので僕が二人の方に歩いて行った。

 北の政所様は僕が歩み寄るのを待っていたように僕の手を取ると「ありがとう」と一言言った。北の政所様の目はやはり赤かった。もしかしたら彼女はそれを気づかれたくなくて近寄らなかったのかも知れない。北の政所様が僕の手を離してさがると今度は社長が前に出て来た。

「佐山さん、あなたにはまた借りを作ってしまった。本当に公私に渡って世話になりっぱなしで御礼の言い様もない。出来ることならあなたに役員になってもらって会社の経営に参画してもらいたいくらいだが、そう言ってもきっとあなたは断るだろう。でも僕はあなたにはそれなりの負担をして欲しいと思っている。待遇その他についてはそれなりに考えるのでよろしくお願いしたい。

 それからこれからも彼女のことをよろしく頼む。あの子にとってあなたほど信頼出来る他人はいないようだから是非これからも出来るだけそばにいてやって欲しい。勿論あなたの個人の事情が許す限りの話だけど。」

社長は僕を見詰めてそう言った。

「あの子は社長の子供なんですか。それともMJB頭取の、」

僕は周りに聞こえないように声を落として聞いてみた。

「僕は自分の子供だと思っている。」

 社長は声を落として、でもはっきりと言った。僕はそれにゆっくりと肯いた。社長は僕に向かって微笑んだ。いろいろ複雑な事情があるんだろうが、この時の社長の笑顔はとても明るかった。