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「少し疲れた。秋本さん、しばらくの間、夫を見ていてもらえますか。ちょっと横になりたい。」

 秋絵はバスルームからローブを持ってくると秋本に命令するような調子で言った。秋絵に言われた秋本はちょっと気圧されたように頷いた。僕も今まであまり聞いたことのない秋絵の命令口調に少しばかり驚いたが、次の瞬間、秋絵は僕達が言葉も出ないくらいに驚いてしまうようなことをやってのけた。
 
 秋絵は僕達に背を向けるとワンピースのファスナーを引き下ろして捨てるように体から抜き取るとそのワンピースを椅子の背に投げた。そして秋絵は体に食い込むように纏わりついている下着を脱ぎ去って裸になった。

 そして僕達に背を向けて足を開き加減に立つと髪を止めていたヘアピンを外して頭を二、三回左右に軽く振った。緩くパーマをかけた長めの髪が秋絵の動きを追って扇を開くように宙を舞った。それから秋絵は腕を伸ばして椅子の背に掛けてあったローブを取って片腕を袖に通すと大きく体を回して僕達の方を振り向いた。両足を開き加減にして片腕をローブの袖に通しただけの秋絵の裸身が僕達の目の前にあった。

「あ、秋絵」

 秋本が名前を呼ぼうとして口籠もった。僕はただ黙って秋絵の裸身を見つめていた。僕達の慌てぶりを尻目に秋絵は僕達二人に無表情な視線を投げかけた。

「あなた、そして先生。私、二人とも好きよ。とっても。」

 秋絵は僕達に向かってそう言うともう一度体を回転させてその勢いでローブを羽織った。そしてベッドに向かって歩きながらローブの前を合わせるとベッドに体を横たえてすぐに軽い寝息を立て始めた。僕と秋本は呆気にとられてしばらくお互いに口を継ぐんでいたが、しばらくして秋本が口を開いた。

「一体、なんだったんだ。おい、森村、どうしたっていうんだ、彼女。」

「さあ、今度会った時に聞いてみればいい。もっとも今のことについては何も言わないだろうけど。」

秋本は何を言われても納得がいかない様子でまだ首を傾げて考え込んでいた。

「要するにデモンストレーションだろう。お前や俺の前では何よりもまず女でありたいっていう、秋絵の。だから、女としての自分を誇示して見せたかったんじゃないのかな。そんな気がするんだけど本人に聞いてみなければ分からないよ。それとも俺達二人に抱かれたかったのかも知れない。」

「馬鹿なことを言うな。俺はまだ心臓が飛び跳ねてるよ。でもこんなこと言うのはいけないことなんだろうけど、彼女、まだ女としての華やかさを充分に残してるな。綺麗だったよ。」

「もしかしたらお前へのデモンストレーションだったのかも知れないぞ。私、もうすぐ未亡人だからよろしくってな。まだそれほど捨てたものじゃないってところを見せたかったのかも知れない。」

 秋本は「馬鹿言ってるんじゃない。悪ふざけにも程がある。」とむきになって怒っていたが、実際はまんざらでもなかったのかも知れない。でもそれが何のデモンストレーションだったのかを知らされて驚かされようとはその時の僕には全く分からなかった。

 秋絵は小一時間ほどで起き出して秋本に軽く会釈をすると着替えを持ってバスルームに入った。そしてパジャマの上にさっきのローブを羽織って出て来ると丁寧に秋本に礼を言った。秋本も秋絵に軽く会釈を返すと自分の部屋に引き上げた。

 秋絵は特に変わった様子もなくさっき自分が脱いだものを片づけてからベッドを直すと「疲れたでしょう。横になったら。」と言って僕を促した。

「シャワーを使ってくる。」

 僕は椅子から立ち上がってバスルームに入った。着ているものを脱いで中に入るとコックを捻って湯を出した。シャワーの先から流れ落ちる湯を見ながら『こうして何時まで独りでシャワーを使えるんだろう。』とそんなことをぼんやりと考えていると後ろに他人の気配を感じた。振り返ると秋絵が裸で立っていた。

「体、流してあげる。」

 僕はシャワーの流れに視線を戻してから「ああ。」とだけ答えた。秋絵はもう僕の後ろに立ってシャワーに手を掛けていた。

「さっきはごめんなさい。怒っている。あんなことするつもりはなかったんだけど。」

秋絵は僕の体にそっとシャワーの湯をかけながらその音にかき消されそうな小さな声で言った。

「秋本へのデモンストレーションか。私はもうすぐ未亡人ですから宜しくって。」

「そう言われても仕方がないけど。でも、やっぱりそんな言い方されると辛いわ。」

「そうなのか。まあ、そんなこと本気で思ってはいないけど。」

 秋絵の本当に寂しそうな口調に慌てて自分の言ったことを少し薄めようとしたが、自分の心の何処かにそんな気持ちがあるのかも知れないということも否定出来なかった。

「もうあれを最後に女をやめようと思った。あなたと秋本さんに私にとって最後の女としての姿を見てもらいたかった。でも、ごめんなさい。私の勝手な気持ちで突然あんな事をして。」

「女をやめる。どういうことなんだ。」

秋絵は僕の後ろから正面へと位置を変えた。

「立ったままで疲れない。浴槽の中に座って。」

秋絵に促されて浴槽の中に足を延ばして腰を下ろした。

「女をやめるって一体どういうことなんだ。また意地を張って生きていくのか。」

「女として生きていく以外の道が開けるかも知れないから。」

秋絵は手を休めずに下を向いたまま答えた。

「あなたが私のこれからのことを色々心配してくれていることには本当に感謝している。今までの私には何にでも意地を張ることしか出来なかった。意地を張っても守るものなんか何もなかったのに。だから私には何時も脆さがつき纏っていたのかも知れない。

 でも、もしかしたら守るべきものが出来るかも知れない。あなたの前でこんなことを言うのは失礼かも知れないけど私はさっきも言ったとおり秋本さんのことが好きです。一緒に暮らすのには一番の相手だと思っています。でも守られてばかりじゃなくて何かを守って生きてみたくなった。さあ、今度は髪を洗ってあげる。頭を後ろに。」

「守るべきものって、まさか、」

僕は体を起こして秋絵の顔を見つめた。

「まだ幾らなんでも早すぎるって言うんでしょう。でもそんな気がするの。もう少し経てばはっきりすると思うけど。」

僕には秋絵の言っていることがとても信じられなかった。そんなことがあり得るはずがないと思った。

「誰の。こんなこと言ったら怒るだろうけど、秋本のなのか。」

「秋本さんの子供だったら今あなたになんか言わないわ。あなたの子供よ。」

「俺の、子供。あの時の。」

秋絵は黙ったまま頷いた。

「でもまだ一週間しか経ってないのに。それで分かるのか。」

「だから勘だって言ったでしょう。母性の本能よ。」

「子供か。一時はずいぶん励んだよな。子供を作ろうって。子供ができれば変わるかも知れないって。でも、『よかったな。』と言っていいのかな、秋絵。俺はその子を見ることはまず出来ないだろうし、それに何もしてやれないけれど。」

 本当に命が宿ったのかどうかも分からない子供のことでせっかく穏やかさを保ち始めた心を乱すのは馬鹿げているとは思ったが、それでも穏やかな気分ではいられなかった。僕は浴槽から立ち上がると秋絵が手に持っていたシャワーを取って手早く体についた泡を流してから外に出た。秋絵は体にタオルを巻きつけながら後を追いかけて来た。