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 女土方が帰ってしまって部屋には僕とクレヨンだけが残ったが、ここで脳味噌全体が土石流と化しているサルの相手をしていても仕方がないので例の店に出かけることにしたら、この土石流サルがどうしても連れて行ってくれと騒ぎ出した。

 絶対に迷惑をかけないと言うが、本人に迷惑をかけている意識が微塵もなく大迷惑をかけられるのだから迷惑をかけないというサルの言は全く客観的な裏付けに乏しいと言わざるを得ない。しかしここで放り出すのもかわいそうなので静かに黙って許可を得た場合意外は絶対に発言をしないと言う条件で連れて行くことにした。

 店は女土方と一回行っただけだったが、場所はすぐに知れた。店に入るとまだ少し時間が早かったせいか客はまばらだったが、何組かそれとおぼしきカップルがテーブルに陣取って何やら話し込んでいた。クレヨンは物珍しそうな顔をして無闇とあたりを見回すのできょろきょろしないで大人しくしていろと叱ってやった。

 ママは僕を見ると懐かしそうに微笑んだが一緒にいるクレヨンを見て怪訝そうな表情になった。女土方が何かを訴えたのかも知れない。

「今日はちょっと折り入ってお聞きしたいことがあってここに来ました。カウンターでいいですか。」

 ママはクレヨンの方に目をやりながら「咲ちゃんのこと」と聞くので「そうです」と答えると「どうぞ」とカウンターのあの席を示した。そこは女土方の指定席だった。

「まず先に聞いておきたいんだけど、」

注文も聞かないうちにママが口を開いた。

「そこにいる子はあなたの新しいパートナーじゃないわよね。」

 ママはクレヨンをじっと見つめていた。見つめられたクレヨンはママの鋭い視線にやや引き気味だった。

「これはゼンマイ仕掛けでシンバルを叩くサルの玩具くらいに思っていてください。一人で放せない事情があって連れて来ただけなんです。」

 ママは納得したようににやっと笑うと「注文は」と聞いてくれた。もしもクレヨンが僕のパートナーだと言ったら店から叩き出されていたかも知れない。

「何にするの。」

 僕はクレヨンに注文を聞いて何でも良いという確認を取ってからビールとソーセージ盛り合わせ、チーズ、フレンチフライ、スティックサラダを注文した。

「相変わらずたくさん食べるのね。」

ママは僕の注文を聞いて笑った。

「食べないと飲めないの。」

「それでその体形を維持しているんだからえらいわ。」

「そうかな、もうあちこちぼろぼろだけど。」

「そうよ、もう年でぼろぼろも良いとこ。私みたいな若いぴちぴち娘とは比較にならないわ。」

 クレヨンがまた余計な合いの手を入れるから口の端を思い切りひねってやったら、「うぃー」とかいう変な悲鳴をあげて黙り込んだ。

「それでね、ママ、咲子のことだけど最近変なのよ、あいつ。妙によそよそしくなって私から遠ざかろうとするの。でもね、私は咲子と別れるつもりはないし、別れたくもないの。彼女だってそうなのよ、それを変に意地を張って私に『あっちの世界の住人なんだからあっちの世界に帰れ』なんて言うの。私もいろいろやってみたけど二回も顔を叩かれたわ。

 ねえ、ママ、私はね、彼女に好きな人が出来たからとか私のことはもう嫌になったからと言うのならそれはそれで良いと思うの。それなら仕方がないわ。でもね、自分はまだ私を好きだと言いながら、私を元の世界に帰したいとか言っているけどそんなこと大きなお世話でしょう。

 私が良いと言っているんだから放っといてよって感じじゃない。そうじゃないですか。それは私もいい加減だから周囲への対応は結構へらへらしていたところがあったかも知れないけど別に彼女を裏切ったこともないし、あっちだかこっちだか知らないけど今とは違う世界に行きたいとも思わないわ。私にも深い訳があるのよ。こうしているのは。人には言えないそれは深い訳が。」

ママはうんうんという感じで聞いていたが、僕が話し終ると納得したと言うように肯いた。

「咲ちゃんの様子がおかしいと思っていたのよ。何となく物思いに耽ったような様子で何時も考え込んでいるから。それにここに来る回数もあなたと付き合い始めた頃よりもずっと増えたし。

 それとなく探りを入れても『仕事が忙しくて疲れている』みないなことで誤魔化されてしまうしね。何かあったんだろうとは思っていたんだけど。でも今話を聞いて分かったわ。そんなことがあったのね。」

「私は、私達が良く暮らすことが出来るように出来るだけのことはしようと思うの。私達が元に戻れるように、そのために出来ることは何でも。でもどうしてもだめならそれはそれで仕方がないわ。どんなことをしても人の心までは自由に出来ないものね。

 ただ、あの時こうしていればとかあんなことをしておけばとかそういう類の後悔はしたくないの。出来ることは尽くしておきたいの。それでここに来たの。何か私とは違った考え方があるのかと思って。そうなら教えてもらいたくて。」

 ママは「ふうん」という感じで頷きながらカウンターの外に出て来た。そして僕の横に立つと「ちょっとごめんね。」と言って僕の胸を掴んだ。僕自身は女に胸を触られたからと言って慌てる理由もなく「この女、いきなりどうしたんだろう」程度で特に驚かなかったが、クレヨンは僕の横で「ひっ」とか言って体を縮めていた。