テキストエディターの言うことは僕も概ね正しいと思うことで僕自身は女土方と別れる気なんて欠片もないのだが女土方が頑なになっているのでどうしようもない。しかも状況は解決に向かって動き出す気配さえ見当たらない。女土方はテキストエディターの顔を真っ直ぐに見ていたが黙ったままで何も答えなかった。
「ねえ、ご当人達、何か意見はないの。」
テキストエディターが意見陳述を促すように僕と女土方を代わる代わる見た。
「私は何もないわ。何も変わっていないから。今までのままよ。」
僕はそう言って女土方を見た。女土方は前を見たまま黙り込んでいた。
「じゃあさあ、佐山主任に聞いてもいい。どうして澤田に『どんな時にどんな男なら抱かれても良いと思うか。』なんて聞いたの。『佐山芳恵、再び男に目覚めたか。』の噂は社内を駆け巡ったわ。」
何でそんなことが社内を駆け巡るんだよ。何で聞いたかなんてそんなこと決まってるじゃないか、男の好奇心だろう。でも、本当のところどうしてあんなことを聞いたのか良く分からない。あるいは如何な男とは言え子宮を持つ身になってそうした本能に目覚めたのかも知れない。
「何でそんなことが社内を駆け巡るのよ。うちの会社はよっぽど暇なの。」
答えが見つからないことをはぐらかそうとして噂が広まったことを責めたが、「あなたの場合は特別なのよ。」の一言で片づけられてしまった。
「じゃあ、佐山主任は伊藤副室が好きなの。どうなの。」
「何も変わらないわ。私はこの人が好きよ。」
「じゃあ、伊藤副室はどうなの。」
女土方はほとんど表情を動かさなかった。そして静かにテキストエディターに答えた。
「それは個人の問題よ。こういう席で話すことじゃないわ。」
「でも今まではいつも穏やかに話してくれたじゃないの。それがどうしてだめなの。」
「人の心は変わることもあるわ。それに状況も。何でも何時までも元のままで同じと言うわけではないわ。」
「佐山主任のことはどうなの。もう好きじゃないの。」
テキストエディターは何とか答えを引き出そうと思ったのか執拗に食い下がったが、女土方は黙り込んで答えなかった。僕も敢えて女土方に自分の内面を語らせる必要はないと思っていた。僕は女土方が心変わりしたとは思っていなかった。何か彼女なりの考えがあって僕から離れようとしているのだろう。それも自分のためでなく僕のために。
「聞いていると何だかずい分込み入った話でしかも非日常の出来事のようですね。私が口を挟んで良いのかどうか分かりませんが、つまり伊藤さんと佐山さんはお付き合いをされていたんですか。」
そこでテキストエディターとクレヨンが大きく肯いた。
「そしてそれは通常の関係ではないと。」
また二人が大きく肯いた。
「でも伊藤さんと佐山さんが仲良くすることがお二人のためにも今回の企画のためにもあなた達のためにも必要だと、そういうことですか。」
また二人は我が意を得たりとでも言うように大きく肯いた。
「そういうことって一般的に極めて個人的なことなので他人が口を差し挟むものでもないと思いますが、僕自身は普通の男女の関係でも同性愛的なものでも基本的にその当事者にとってそれが幸せならそれで良いのじゃないかと思います。それに今話を聞くとお二人の関係は仕事や周囲にも大きな影響があるようですから尚更円満に続くとよろしいかと。後は今の僕にはもうこれ以上は言えないなあ、他人がどうこう言うことではなく要はお二人の問題でしょう。」
まあ確かに言葉屋の言うとおりだ。ただし僕と女土方はビアンではなく正常な男女の関係だが。僕は女土方を見た。女土方も僕を見ていた。
「咲子、私はこれまでどおりにあなたと一緒に生きたいわ。もっともあなたがどうしても他の生き方を選択したいと言うのなら仕方がないけど。」
きれいな言葉でいうとこんな風になるんだろうけど現実問題として女の体になったとは言え、男に対しては拒絶感が拭えないので男を人生のパートナーとして迎えることは不可能である。しかし女と言っても日本の国内でビアン系の女で自分の好みに合うのを探すことはこれも不可能に近い。
それが偶然、偶然なのか必然なのかは実際問題として分からないが、女土方という自分の好みに合致するビアンの女性が出現してこれとパートナーシップを組むことになったことは僕にとってはいろいろな意味で幸せなことだったと思う。だから今更訳の分からない感情のもつれでその関係を失いたくはないというのが偽らない僕にとっての真実だった。
「私にはどうしたら良いのか分からないわ。あなたは一体誰なの、本当にあの佐山芳恵なの。あなたが本当に好きな人は一体誰なの。あなたは私の世界の人間じゃないでしょう。本当に一生私の方を向いて私と一緒に生きてくれるの。何だか皆分からなくなってしまったわ。」