「ご馳走様、とてもおいしかったわ。でも私、どうしても外せない用事を思い出したから自宅に帰らなくちゃ。泊まろうと思ったけどごめんなさいね。」
言葉は穏やかだがほとんど問答無用と言った雰囲気で、僕もこんなに怒った女土方は見たことがなかった。
「どうしたの、泊まっていくんじゃないの。」
僕は一応引き止めたがこの怒り方では無駄だろうと思った。
「恋愛談義には私みたいなのがいてもお邪魔でしょう。どうぞ、二人でゆっくり語り合ったら。」
ほとんど取り付く島もないという様子の女土方の態度に僕もむっとして立ち去ろうとする女土方の腕をつかんだ。
「ねえ、どうしたのよ。私や彼女が一体何をしたって言うの。幾らなんでもそんな態度はないでしょう。」
「何するの。私なんかに用はないでしょう。あなたは普通の女なんだから私なんかにかまわずに誰でも好きな人と恋愛をすればいいわ。人を暇つぶしの道具にするのはもういい加減にしてよ。さあ、その手を離しなさい。」
「いやよ、勝手な想像をしないで私の話をちゃんと聞きなさい。ちゃんと話を聞くのなら手を離すわ。」
僕がそう言ったとたんに顔に打撃を感じた。女土方は僕を平手打ちした後も真っ直ぐに僕の目を見据えていた。何だか女になってからずい分と顔を叩かれる。北の政所様、クレヨンに続いてこれで三回目だ。だけど僕にとっては今度が一番効いた。女土方は瞬きもしないで相変わらず僕を見据えていた。僕も痛かったが殴った女土方はもっと痛かったのかも知れない。
「手を離しなさい。」
女土方はもう一度低いけれど良く通る声で言った。これまで僕は叩かれると間髪を入れずに反撃して来た。女土方もそれは承知しているのだろうけれど僕の反撃に備えるような様子は窺えなかった。
「話を聞きなさい。」
僕も女土方を見据えてもう一度同じことを言った。女土方の手は握ったままだった。僕たちはしばらくお互いに相手の顔を見据えたままにらみ合っていた。その時突然クレヨンが泣き出した。
「お願い、もうやめて。けんかしないで。もうやめて。お願いだからけんかはやめて。」
いきなり泣き叫び出したクレヨンは自分がこの騒動の発端になっていることの重みに耐えかねたのだろう。そんなクレヨンがかわいそうになって女土方を握った手を離してクレヨンを抱いてやった。
「泣かなくていいの。あなたが悪いんじゃないわ。これは私と彼女の問題だから。もういいのよ、泣かなくても。」
「私が変なことを言わなければ、こんなことにならなかったのに。ごめんなさい、もうけんかしないで。」
そうして僕が泣き止まないクレヨンの面倒を見ているうちに女土方はいなくなっていた。僕は騒動に驚いて駆けつけたお手伝いに大丈夫だからと言って下がらせてクレヨンを部屋に連れて行った。クレヨンは自分の言葉から始まったこの騒動に相当動揺している様子だった。
何よりもあんなに激昂した女土方を見たことがなかったのでそれだけでも相当な精神的打撃だったんだろう。まだしゃくりあげているクレヨンを抱いてやりながらどうして女土方があんなに怒ったのか考えてみた。
女土方は自分がビアンだと言うことに想像も出来ないくらいの引け目を感じていた。僕にしてみればそんなことは個人の嗜好の問題で何も引け目を感じることでもないと思っていたが、それは正常人だから言えることなのかも知れない。
そんなところに僕と言うとんでもない生き物が出て来て相思相愛の関係にはなったものの女土方には僕はやはり普通の嗜好を持った女という認識だったのだろう。彼女にとって僕と言う存在は僕には想像もつかないくらいかけがえのない大切なものだったのかも知れないが、それ以上に僕をあらぬ世界に引き込んでしまっているという負い目も想像も出来ないくらい大きいものがあったんだろう。
自分にとってかけがえのないもの、でも自分の気持ちを優先することは相手に大きな負担を負わせているのではないかという負い目に加えてその大切なものを失うのではないかと言う不安感と常に向かい合いながらそれを何とか遣り繰りして生きて来た女土方の精神のバランスが今日の僕と言葉屋の偶然の共鳴で弾けてしまったのだろうと結論付けた。