まず一つはクレヨンを大学に復学させることだった。何だかんだ言ってあのサルも三年まで修了しているのだから残りはあと一年、お嬢様女子大の最終年など無きにも等しい程度の授業しか残っていないだろう。これについては金融翁も異存はなかった。そして空いた時間で今の仕事の手伝いをさせる。
社長はクレヨンを非常勤室員として辞令を出したが、僕はクレヨンには正社員に近いことまでさせなくとも今はアルバイト程度でいいんじゃないかと思っている。それを金融翁に話すと金融翁も同意してくれた。
これには社長の立場や了解も要るんだろうけどいずれにしても非常勤社員なのだからその辺はうまく都合がつくだろう。そして営業君、株屋の姉御に加えてクレヨンまでも抜かれれば室で戦力は僕と女土方にテキストエディターのお姉さんだけになってしまう。
いくらなんでも人的には半減、戦力的にも三割方は落ちているだろう。これではちょっと心許ない。それを金融翁に伝えるとどんな企画を検討しているのかと聞かれた。そこで今の企画のあらましを伝えると
「最近そんな企画を聞いたことがあるけどなかなか面白そうな企画かもしれない。」と言ってくれた。
「私も少しばかりあちこちの業界に顔が利くので人の手当は何とかできるかも知れない。篠田君にも私の方から話しておきましょう。その辺は私の方で何とかうまくやりますから良しなに任せておいてください。」
あちこちの業界に少しは顔が利くって金を握っているこのおっさんがあちこちの業界に顔が利かなかったら一体この世の中で誰が業界に睨みを効かせているんだ。ところでこのおっさんが「篠田君」と呼ぶ人物は誰あろう僕等の社長のことだ。さすがに僕等の社長もこのおっさんに言われれば受け入れざるを得ないんだろう。
日本の経済界の超大物にべこべこ頭を下げられて僕と女土方はおかしな気分で二階の部屋に戻った。そこにはクレヨンが僕たちを待っていた。僕たちがここに居残ることになったのでずい分とうれしそうだった。しかし金融翁がこれほどメロメロにクレヨンを心配するとなるとクレヨンは北の政所様とこの金融翁の子供と言うことになって社長父親説は崩れてしまう。
勿論クレヨンが誰の子でも良いんだけれど社長と北の政所様の間に出来た世を忍ぶ秘密の愛の結晶という方が責任のない外野としては面白い。もっともクレヨンが愛の結晶というにはちょっと濁りすぎているかも知れないが。
金融翁効果は翌日早速現実となって現れた。北の政所様から室員四人が補充されることが伝えられた。旅行業務を含めて営業関係が三名、語学関係が一名とのことだった。そしてクレヨンは日々雇用職員として大学に復学することになった。日々雇用なんて聞き慣れない難しい言葉だが要するに日給のアルバイトと言うことだ。その後社長が顔を出した。そして僕と女土方の顔を見ると何とも複雑な表情をして見せた。
「君達には本当に何と言えばいいのかな。勿論僕にとってはとてもありがたいことには間違いないんだけど、どうも事が想像を超えた方向に進んで行ってしまう。
今回この企画はMJBホールディングズとのコラボレーションで進めていくという線で話が進んでいる。今回の増員はそれに従ってMJBから派遣される人員だ。
一部は企画の有効性を見極めるため事業企画室からの派遣だと言うことなので相当の切れ者だろう。資金面では比較にもならないのだから向こうに主導権を握られかねない。その辺を考えると今回の件も痛し痒しだな。」
「大丈夫ですよ、社長。こっちは金よりもエリートよりもはるかに強力な人質があるんですから。あれさえ出せば金融王もめろめろよねえ。」
僕はクレヨンのことを冗談交じりに言ってみたが、考えてみればあの小娘はうちの社長の娘かも知れないのだ。
「あのね、あなたねえ。ああいう人たちにとって仕事と私生活は厳然と別なのよ。そうでなければあの人もあんな立場には上り詰めたりは出来なかったと思うわ。」
女土方が僕を見ながらつくづくと言った。
「分かってるわよ、そのくらい。ちょっと言ってみただけよ。」
「いずれにしても」
社長が僕たちに口を挟んだ。
「しっかりと企画を吟味していいものを出してくれ。良い物を出せばそれだけこっちの発言権も強まるのだから。よろしく頼むよ。」
社長は入って来た時と同じ複雑な表情のまま部屋を出て行った。そしてその後を北の政所様が追いかけて行った。