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 女土方が議論を強制終了したのでその場はお開きとなった。そしてそれぞれ帰り支度を始めたが女土方だけが何となくフラストレーションの溜まった顔で立ち尽くしていた。

「ねえ、エステでも寄って行かない。変な話で何だか疲れちゃったわ。」

女土方は僕を振り返った。

「いいわよ。」

 僕は簡単に応じたが、エステと言うのがどういう場所か概略は知ってはいるものの詳しいことは知らなかった。概ね「美容マッサージ」という理解の仕方だった。

「どこか知っているところってある。」

 女土方は僕にそんなことを聞いたが僕はエステ自体未体験だったので知っているところなどあろうはずもなかった。

「私の知っているところに行かない。いいところよ。」

クレヨンが口を挟んだ。

「あんたの知っているところなんてまたばかっ高いんでしょう。私たちのお財布で行けるわけないでしょう。」

「社長さんからクレジットカード預かっているんでしょう。支払いは父の口座から落ちるし細かい金額は見ないから大丈夫よ。だから行きましょう。」

クレヨンは良いとこのお嬢さん育ち丸出しでお気楽なことを言った。

「いいわ、私が使っているところに電話してみるわ。」

女土方はそう言いだした時にはもう携帯で電話をし始めていた。

「午後八時だって。少し時間があるわね。食事でもして行こうか。」

 テキストエディターのお姉さんも加わって四人になった僕たちは会社を出ると近所のちょっと高級な鮨屋に行った。それぞれ自分の好きな握りやちらしを頼んで、その他に刺身の盛り合わせを追加した。特に理由はなかったが、皆がやるようにまずビールで乾杯した。そして刺身をつまんだりしながら雑談にふけった。でも飲んだりしゃべったりするのはもっぱらテキストエディターのお姉さんとクレヨンで僕と女土方は聞き役だった。

 それにしても女という生き物はどうして食い物や衣類、タレント、旅行や娯楽の他に職場の中のどうでもいいような人間関係や他人の噂などに興味を示すんだろうか。他人のことなんて自分に関係が生じない限りどうでもいいだろうと思うのは僕が男だからなんだろうか、それとも僕個人の性格なんだろうか。それにしても食い物や娯楽やファッションにこれだけの関心を示してくれるなら女相手に趣味と英語を組み合わせたプログラムを売り出すのも良いかも知れない。

「ねえ、主任、主任が彼にお付き合いしてあげれば問題は解決するんでしょう。主任、強いんだから適当にあしらって逃げてくれば大丈夫じゃない。職場の平和のためには少しくらいの犠牲はやむを得ないでしょう。そうじゃない。」

ほろ酔い気分になったテキストエディターのお姉さんがまたばかなことを言い始めた。

「あんたが相手をしてやれば。私はご免被るわ。第一そんなことが出来るくらいなら始めからこんなこんがらかった状況にはなっていないでしょう。」

「何ともはっきりして冷たいわね。そういう素っ気無さが男の情熱を煽るんですよ。『いやよ、いやよも好きのうち』って言うじゃないですか。案外お似合いかも。ちょっと大人になり切れないあどけなさを残した男と男以上に男らしいキャリアの熟女。いいじゃない。」

 『いやよ、いやよも好き』のうちなんて言葉に類する言い方は世の中に五万とあるがどうもこれは男の勝手な都合で作り出された言葉なんじゃないか。基本的に人類の歴史は男性支配の歴史だったので男に都合の良い理屈が氾濫しても不思議はない。男だって嫌いな女と寝るのはいやなんだから女だっていやなものはいやだろう。特に相手と肌を合わせるような場合は尚更だろう。

 太古の昔から男が狩猟や農業あるいは近代では労働報酬という形での経済など生存にかかわる部分を掌握していたから我慢をしてきただけで女が自分で自活して経済力をつけ始めると男たちは女の反撃に戸惑い翻弄され始めたのが現代の世相だろう。自分で生きていけるのに誰が大人しく自分を殺して他人のために我慢なんてするものか。

「自分には関係ないと思って勝手なことを言うんじゃないの。あんたがあいつの子供でも生んで見せたら私もあいつの手ぐらい握ってやってもいいわ。」

「ええ、やだあ、そんなの。私あの男には興味ないもん。」

「だったら勝手なことを言うんじゃないの。」

「私ねえ、」

今度はクレヨンが口を開いた。

「あなたに徹底的に押さえつけられていた時、あなたのこと本当に憎らしい女だと思ったわ。出来れば地下室か何かに鎖でつないで、私の言うことを何でも聞くようになるまで犬みたいに鞭で叩いてやりたいと思ったわ。泣いて私の足を舐めて謝るまでそうして繋いでおきたいって。でもねえ、それは諦めることにしたの。だってそこまでしてもあなたは言うことを聞かないかもしれないって思ったから。」

僕は向かいに座っているクレヨンの耳をつかんで引っ張った。

「あんた、もう一度言ってごらんなさい。まさか今でもそんなばかなことを考えているのじゃないでしょうね。一体誰のおかげで今ここでお鮨なんか食べていられると思っているの。もう一度そんなことを言ったらあんたを鎖でつなぐわよ。あんたの家は部屋なんてたくさんあるんだから。いいわね。」

 クレヨンは「そんなこともう言いません、何でも言うことを聞きます。痛い、痛い。」と悲鳴を上げた。手を離してやると「本当に野蛮人なんだから。暴力女。」と毒づいた。

「暴力で人の性格を変えようとしたり服従させようなんて許せないわ。」

 女土方が真顔で言った。あまり調教にむきになるなんてそういうことをされた経験があるんだろうかなんて余計なことを考えてしまった。

「ほら見なさい。伊藤さんだって暴力で服従させようとしてはいけないと言っているじゃない。少しは考えなさいよ、あなたも。」

クレヨンはここぞとばかりに勝ち誇ったように言い放った。

「あんたの場合は放っておくと自己崩壊するから性格改善をしているのよ。それも並みの方法では改善が望めないから非常手段に訴えているだけよ。法律でも違法性阻却事由ってあるのを知っているわけないわよね。とにかくいいのよ、あんたの場合は。多少の実力行使は。余計なことを言っているとまた食わすわよ。」

僕が手を振り上げるとクレヨンは「ひっ」と言ってテキストエディターのお姉さんの後に身を隠した。

「二人は仲良しだから二人で話し合って決めなさい。さあそろそろ時間ね。ぼつぼつ行きましょう。」

 女土方が立ち上がった。僕は躊躇う女土方を制して社長から預かっているクレジットカードで支払を済ませた。

「今日はエステもみんな奢ってあげるわよ。大船に乗った気で安心していてね。」

 これまでほとんど使わなかったんだからかまうものか。これだけ迷惑をかけられているんだしクレヨンを監視している分クレヨンの無駄遣いが減ったんだから差し引きすればずい分プラスになっているはずだ。