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 一旦沈黙が支配した後、話がまた新企画に戻った。考えてみればこの企画は受入れ先さえ探せば何でも応用可能な魔法の企画のようだったが、需要の問題もあるので当面は趣味の面から検討して行くことになった。

 打ち合わせが終わってクレヨンを拾うと僕は職場を出た。女土方は自宅に戻り今日は僕とクレヨンがあの邸宅に戻ることになった。僕にしてみれば泣き寝入りのような状態で面白からず思っていたのであまり口を聞かなかったが、クレヨンはそんな僕を一歩も二歩も下がって見ていた。きっと不機嫌な僕と一緒にいることで居心地が悪かったんだろう。こいつには特に落ち度はないので今回についてはかわいそうなことをしたと反省した。

 翌日も営業君はあちこち伝をたどってそこそこ細かい情報を持ち帰ってくれたが、その報告の後に食事に行きませんかだの、出張でもいいから一緒に旅行に行きたいだの余計なことばかり付け加えた。

「良いわよ。食事をご馳走してくれるの。」

僕がそう答えると営業君は身を乗り出して来た。

「本当ですか、じゃあ予約を入れます。どんな料理が良いですか。」

「料理は何でも良いわ。でも握り寿司が良いかな。ただし一つだけ条件があるわ。それを飲むならいいわよ。」

「佐山さんと食事が出来るならどんな条件でも受け入れますよ。どんな条件ですか。早く言って下さい。」

部屋にいた全員が手を止めて僕たちに注目した。女土方は腰を浮かせて立ち上がりかけていた。

「この部屋の全員を一緒に食事に招待すること。それなら私も行くわ。何なら社長も誘ってもらおうかな。」

「じゃあ食事はいいです。そのかわり佐山さんと夜を共にしたい。ホテルなら何処でもお好みのところを予約しますから。」

こいつは頭がおかしいのか。そんなことで女が付いてくるなら誰も苦労はしないだろう。

「あなた、いい加減になさい。それはハラスメントよ。これ以上黙って見ているわけには行かないわ。」

女土方がとうとう立ち上がった。

「大丈夫よ、そのくらいなんでもないわ。」

僕は女土方を制した。こんな低俗なことには女土方を巻き込みたくはなかった。

「いいわよ、私を抱きたいのならそうさせてあげるわ。でも一つだけ条件があるの。それがクリア出来たらいいわよ。一晩一緒に過ごしてあげるわ。」

「どんな条件ですか。ここの人たちを全員ホテルにご招待ですか。それじゃあ意味がないじゃないですか。」

「違うわよ、あなたと二人きりで過ごしてあげるわ。」

「その条件を言ってください。お願いします。」

それ来た。ばかはやっぱり止め処がない。

「あなたが女になってくれれば一晩一緒に過ごしてあげるわ。女装なんてだめよ、正真正銘の女になってね。」

「そんなの無理に決まっているじゃないですか。正真正銘の女になんかなれっこありませんよ。」

 そんなことはない。断じて行えば鬼神もこれを避くと言うではないか。本当に好きなら一念を通してみろ。第一僕を見てみろ。正真正銘立派な女になったじゃないか。もっともそれは自分の意思にかかわらずそうなってしまったには違いないが。

「ひどいなあ、その気にさせておいて。出来ないことばかり。でも僕は諦めませんからね。きっと思いを遂げて見せますから。待っていてくださいね。」

「こういう女は首輪でもつけて調教しなきゃあだめかもよ。」

 またクレヨンが余計なことを言った。ファイルで頭を叩いてやろうと思ったらその前に「パシッ」と音がした。女土方だった。女土方は怖い顔をしてクレヨンを見据えていた。

「言って良い冗談と悪い冗談があるわ。幾らなんでもそのくらいは弁えなさい。」

女土方に叱られたクレヨンはさすがに萎れ返っていた。

「一人前の大人の人間を調教なんて正気の沙汰ではないわ。そんなことを考えるだけでも犯罪だわ。」

 女土方は調教と言う言葉がかなりお気に召さないようで怒りが治まらないといった風情だった。その怒りのバロメーターが上がるに従ってクレヨンが萎れて行ったが営業君はそんなことはお構いなしのように言い放った。

「調教ねえ、そういう手もあるかな。でも佐山主任、手強そうですねえ。ちょっとやそっとじゃあなびきそうもないな。でも僕もきっと良い方法を考え付いて見せますから。楽しみだなあ、主任と一緒に時を過ごすのが。」

 このバカはどうしても僕と添い遂げたいようだ。たとえ徒手空拳で戦って斃れようとお前なんかと添い遂げてやるものか。でも僕はちょっと戦法を変えた。何でも感情的になって食って掛かるのではなくて適当にはぐらかすことにしたんだ。

「あなたもいい加減にしなさい。職場は出会いの場でも仲良しクラブでもないわ。仕事をするところよ。いいわね。」

女土方がとうとう怒りを営業君に向けた。

「僕は仕事はきちんとしています。別にそのことで副室に言われる覚えはありません。」

 ところが営業君は言うことを聞くどころか女土方に反撃を始めた。もっともこのくらいで言うことを聞くようならこいつも普通の範疇に入るんだが。いっそ僕よりも女土方を好きになってくれれば面白いのになんて不謹慎なことを考えていたら女土方が背筋が寒くなるような厳しい視線を営業君に投げかけながら最後通告をした。

「仕事というのは書類を作ったりものを売ったりすることだけじゃないわ。職場で人の和を保つのも大事な仕事よ。特に皆が良くも悪くも注目している新設の部門ではなお更のことよ。もしもそれが出来ないのなら私にも考えがあるわ。これは脅しでもなんでもないからそのつもりでいてね。いいわね。」

 僕は女土方と同棲しているし、深い仲、女と女の体をした男の関係を深い仲と言っていいのかどうか分からないが、にもなっているので彼女の強いところも弱いところも良く知っているんだけどこういう時の女土方は心底怖いと思う。こう言い切った時の女土方はやるとなったら本当にズバッと切り捨てるだろう。

「僕は職場の秩序を乱そうというんじゃありません。ただ自分の恋に素直に思いを遂げたいだけです。それがそんなに悪いことですか。」

 テキストエディターのお姉さんとクレヨンが『こりゃだめだ。』と頭の横で小さく手をクルクルと回した。

「もうこんなことを何時まで話していても仕方がないわ。私の言ったことは分かってもらったと思うのでこれ以上何かを言うつもりはないわ。いいわね。」

 女土方はそれだけ言うともう何も話さなかった。その辺の見切りのつけ方に誰もが何とも言えない凄みを感じたのか皆黙り込んでしまった。まあしかしこういう時の女土方は本当に怖いと思う。僕と女土方が普通の男と女の関係でしかも夫婦だったら正面から正論でぶつかった時には絶対に勝てそうもないような気がする。