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 カラオケに行くと言うのでその辺のスナックかカラオケルームかと思ったら小さいがかなり立派な銀座のクラブだった。社長だから金があるんだろうけどどうも贅沢なことばかりする社長だ。

「今日は貸し切りですから思い切りどうぞ。」

出迎えたママと思われる中年の女性が愛想の良い笑顔で言った。

「ママ、久しぶり、元気。」

 北の政所様が笑顔で挨拶をした。何だ、こいつ等知り合いなのか。後で聞いたら北の政所様は一時期ここで頼まれホステスをしていたらしい。あの女もいろいろなことをやるもんだ。

 二次会が始まると最初の頃は飲んだくれのクレヨンとテキストエディターのお姉さんが元気だったが、二人とも途中で潰れてしまってそれからは北の政所様と社長、それにマルチリンガルが歌いまくっていた。北の政所様と社長はデュエットでなかなかの喉を披露していたが、マルチリンガルは聞きほれてしまうような見事な声でしかもドイツ語でリリーマルレーンを歌ってみせた。

 こいつはマルチリンガルで美人だし頭も悪くないし歌もうまい。なかなかの才女のようだが、どうも一癖ありそうな感じだった。営業君は普段の仕事が骨身に染み付いているのかひたすら聞き役、誉め役に徹して自ら歌おうとはしなかった。僕や女土方にも「歌えコール」が起きたが、僕はばかばかしいので拒否していた。

「ねえ、佐山さん、あんなにカラオケ大好きだったのにどうしたの。」

 マルチリンガルは不思議そうに尋ねたが中身が変わったから今まで好きだったものでも今は嫌いなものは嫌いなんだ。そうして頑強に歌えコールを跳ね除けていると何と女土方がマイクを手に取った。そしてこれもびっくりするような美声で「トップオブザワールド」を歌ってみせた。いや、女土方がこんな美声の持ち主だったなんて今の今まで知らなかった。どうも最近この世の中は知らなかったことが多すぎる。

 結局僕たちが店を出たのはほとんど日付が変わりそうなくらいの時間だった。そして厄介なことにクレヨンとテキストエディターのお姉さんは完全に酔いつぶれていたのでテキストエディターのお姉さんをこのままタクシーに乗せて帰すわけにもいかなかった。女土方と相談した結果、二人を連れてクレヨンの家に帰ることにした。

「私は澤本さんを面倒見るからあなた、町田さんをお願いね。彼女私にはちょっと大きすぎて荷が重いわ。」

 女土方はクレヨンを支えて外に出た。僕はテキストエディターのお姉さんを引き起こそうとしたが、どうもまともに歩けそうもないので背負って行くことにした。両脇に腕を差し込んで引き起こしそのまま自分の体を入れ替えて背負ったが、完全に力の抜け切った人間はずい分と重く感じた。体がずり落ちないように一度テキストエディターの体を上に背負い上げてから両手で彼女のお尻をしっかりとつかんだが、なかなか満更でもない感触につい笑みがこぼれてしまった。そんな僕を見た女土方が怪訝そうに「どうしてニヤニヤしているの。」と聞いたが、まさか本当のことを言うわけにもいかないので「楽しかったから。」などと言って適当にごまかしておいた。

 店で呼んでもらった車に完全にのびている二人を押し込んでから女土方が後ろに乗り込み僕が助手席に座った。車は交通量の減った夜の東京を快適に走り抜けて昼間の半分くらいの時間でクレヨンの自宅に着いてしまった。事前にお手伝いに連絡をして門を開けてもらい玄関前まで車を入れてもらうと完全にのびている二人を引っ張り出して部屋に運び上げた。クレヨンの家はタクシーの運転手も驚くような豪邸だが残念ながらエレベータがない。そこでまた僕はテキストエディターのお尻をがっちりとつかんで二階へと運び上げた。

 そうしてやっとの思いでテキストエディターをベッドに転がして一息ついでいると女土方が「服を脱がせて寝かせてしまおう。」と言ってどこから探してきたのか僕にTシャツを手渡した。おお、合法的に女の服を脱がせることが出来る。

「全部脱がせてしまうの。」

僕が聞き返すと女土方が呆れたように僕を見た。

「あなた、その子に何かするつもりなの。上着だけで十分でしょう。」

 女土方のもっともなご意見に従って僕は勇んでテキストエディターの服を脱がせる作業に取り掛かったが、女の服という奴は変なところにフックがあったりボタンが隠れていたりするので剥ぎ取るのに一苦労だった。

「ブラも窮屈そうね。外しちゃおうか。」

 結局怪訝そうな女土方を尻目にテキストエディターをパンツ一枚にひん剥いてTシャツを着せるとクレヨンとひとまとめにして毛布をかけてやった。

「ああ、本当に手間のかかる人たちね。飲んでもいいから人には迷惑をかけないで欲しいわ。」

 確かにこいつ等を運んで寝かしつけるのは重労働だったが、こっちもそれなりに楽しんだのだから良しとしておこう。

「はい。」

 作業を終えてほっとしていると後ろでいきなり女土方の声がして驚いて振り返った。すると彼女がアイスコーヒーの入ったグラスを持って立っていた。

「ありがとう。」

 僕はグラスを受け取ると思い切り冷たいコーヒーを飲み込んだ。酒で火照って渇いた喉に冷たいコーヒーが心地良かった。

「ねえ、皆ずい分はしゃいでいたけど先行き楽観を許されないものがあるんじゃないの、今度の組織改編て。業務もそれなりに苦労が多そうだけれどそれよりも特に人事に問題がありそう。天気晴朗なれども波高しって感じじゃない。ちょっとと言うかかなり例えが古いけど。兵ばかりじゃない、今度のうちの部屋って。」

「そうね。」

女土方はため息をついた。

「確かに誰もその分野では人並み以上の能力はあるけどその分一筋縄じゃいかないって感じの人ばかりよね。高いのは波ばかりじゃないかもしれないわ。」

「そんなところで実質ナンバー2じゃあ楽は出来ないわね、あなたも。」

「そう言うあなただってナンバー3じゃないの。これまでとは違うわよ。今回の人事には納得していない人が大勢いるわ。そしてそれは外だけとは限らない。身内にも敵はいるってことよ。気をつけないとどこで足を引っ張られるか分からないわ。あなたはそういうことに無頓着だから気をつけなさいよ。武闘派だけじゃあ通用しないのよ。」

「でもね、やるべきことをきちんとやっていればいいじゃない。違うかな。もしも今回のポストが欲しい人がいるなら代わってあげてもいいわ。私は好きでもらったわけじゃないから。他の部門に行っても私が困るわけじゃないし、そこで自分の仕事をすれば良いんでしょう。」

女土方は苦笑いを浮かべた。

「本当に天真爛漫なのね。あなたって。人の関係ってそんなものじゃないわ。私やあなたが一足飛びに良いポストをもらったことが気に入らないって言う人がたくさんいるのよ。そういう人達は私達が失敗することを密かに期待して見ているの。世の中ってそういうものなのよ。」

 確かに利害が絡んだ人の関係というものはそんなものなのかも知れない。それが面倒で組織の枠組みから外れて生きて来たのだから。でも会社というのは出資者のために利益を上げるのが使命の利益共同体じゃないのか。そんな個人の感情で足の引っ張り合いをするのは筋を外れている。大事なことは個人の感情よりも目的の達成と公人としての責任の完遂だろう。どうもこの世の中には公私の区別がつかない奴が多すぎる。

「大丈夫、私は私のやり方でやるわ。心配しないで。私にはなくして困るものなんか何もない。今の仕事やポストが欲しい人には何時でも喜んで差し上げるわ。今私がなくしたら困るのはあなただけよ。」

 僕は女土方を見て微笑んだ。女土方も僕の方に体を寄せて来た。誰が何を仕掛けて来ようと怖いものなんか何もない。僕は女土方と一緒に僕の生き方を生きるだけだ。