「二人が仲良しってことは良いことだけど、それにしても一体どうしたの、あなた達。」
僕に張り付いて離れようとしないクレヨンとやや迷惑そうな顔をしながらクレヨンの相手をしている僕に向かって女土方が言った。そしてクレヨンが外した時に「あなた、まさかじゃないでしょうね。」と念を押した。疑われるのも癪に障るので僕は「実は、」と言っていつかの晩の出来事を手短に女土方に話してやった。
「あれもきっと物心ついてから誰かと戯れて心の底から笑ったりしたことがない子なんじゃないのかな。でもあれはあれなりのプライドがあったんでしょうから強気に出ていたんでしょう。けれどその強気に見せるための鎧の重さを支えかねていたのかも知れないわね。私は決してあれのようなジャンルの人間を優しく受け入れられるようなタイプじゃないけどそんなことを考えていたら邪険にするのが何となくかわいそうになってね。鬱陶しい時もあるけどもうちょっと満たされるまでは仕方がないかなと思って。」
女土方にあの晩のことを話したついでに僕は最後にそう付け加えた。女土方は黙って大きく頷いた。
「あなたは以前の芳恵とはちょっと違って一見とても取っ付き難い人のようだけどあなたの領域の中に入ってしまった人には本当に優しい人ね。」
どうも女土方は僕が以前の佐山芳恵とは違う人格であることをはっきりと認識し始めたようだった。
僕と女土方が揃ったその晩、クレヨンはもう絶好調だった。人間一度鎧をつなぎ合わせている紐が切れてしまうと次から次へと鋼の板が落ちてしまうらしい。あの突っ張ったクレヨンは何処へやらもう子供のように僕たち二人の間で歓声を上げてはしゃぎ回っていた。僕たちはそのクレヨンを適当にあしらいながらお互いにその変わり様に顔を見合わせた。
「ねえ、明日お買い物に行かない。三人で一緒に。」
突然クレヨンが余計なことを言い出した。僕はお買い物がきらいだ。特に女と一緒の買い物は退屈で仕方がない。女という生き物はどうして買いもしないものを延々とひっくり返したり透かしたりして眺めているのだろう。そしてやっとお買い上げに至ってもこれが似合うかあれが似合うかと聞きまくって結局聞きまくった他人の意見など聞かずにお買い上げになる。
その頃には付き合っている僕などは精も根も尽き果てて崩れ落ちそうになっているのに女の方はそんなことはお構いなしに無慈悲にも「あと一軒付き合ってね」などとのたまう。その根性には男の忍耐など到底及ぶものではない。そんな訳だから僕は万止むを得ず女の買い物に付き合わざるを得ない時は近所に書店とかパソコンショップとか車の展示場とかそうした時間潰しの場所があることろを選ぶことにしている。
そうでもしないとどのように決意を固めて全身から忍耐を振り絞っても女の買い物にかける情熱の前にはその決意も忍耐もほとんど何ら功を奏さないままに消耗し尽くしてしまうからだ。それに女の方もいやいやくっついている男などいない方が買い物に集中出来ることだろう。
だからクレヨンが買い物に行こうなどと言い出した時には僕はひそかに眉をひそめたのだった。しかし女土方は結構乗り気で「いいわね、行こうよ。ねえ。」などと僕に同意を求めてくる始末だった。僕は嫌だとも言えずに「そうね、買い物ね。」等と口を濁していると「決まったわ、行こう行こう。何処に行こうか。」などとクレヨンはすでに行き先の検討に入っていた。
「銀座。」
僕はすかさず候補地を主張した。銀座なら本屋やパソコン屋など適当に時間を潰す場所には困らない。お台場も良いがあそこは書店がない。でも大規模な車の展示場やアウトドアショップなどもあるのでまあ悪くはない。原宿はいけない。第一土地鑑がない。どんな店があるかも分からないがブティックばかりでどうも僕のようなのが時間を潰す場所が少ないようだ。自由が丘も有名でここからは近いがあそこもいけない。そんなわけで僕は強硬に銀座を主張して最終的にはこれが採用されたのでほっとした。
大体買い物と言うと僕にとっては目的物を購入するための行為であるので予め必要な物をリストアップしておいてそれを売っている店にまっしぐらに駆け込んでサイズを合わせて金を支払って手に入れることになる。多少は色や形を勘案するために時間を取ることもあるがそれも数種類から選択するだけなので大した時間もかからない。あくまでも必要とする物品を入手出来ればそれで十分なので購入する必要のないものなど見る気もしない。
ところが女の買い物はちょっと事情が異なる。何よりもとにかく見て歩く。次から次へと店を渡り歩く。買うとか買わないなどと言うことは二の次で見て見て見てそしてまた見て歩く。次にするのは批評だ。これも買う買わないはお構いなしだ。色がどうだの形がどうだの値段がどうだのこれもまた際限がない。買わないのなら余計なことは言わなきゃ良いだろうと思うがどうもそういう訳にはいかないらしい。
そしてもっとも困ることはそれぞれの品物について意見や同意を求められることだ。確かに色や形が違う。でもそれが何だと言うんだ。僕の目には大同異小と言うかどれも同じようにしか見えない。そしてもっと本音を言えば品物の良し悪しよりもそれを身にまとう側の方が問題なんだと思う。しかしそんなことを口にした日にはどのような恐ろしい結果が待っているか想像するだけでも恐ろしい。
しかしこのような買い物は単に忍耐さえあれば何とか耐えて切り抜けることが出来る。本当に恐ろしいのは女に貴金属の類を買ってやる時だ。僕自身貴金属や装飾品を見るのはきらいではない。金の冷ややかな重量感や宝石の怪しい輝きなどは女ならずとも魅惑され心を惑わされるに十分な魅力がある。
だからたまに宝飾店に立ち寄ってつき合っていた女にそこそこの物を買い与えることがあった。それでも女は十分に喜ぶのだが事前に「買ってやろうか」などと口走ってしまった日にはもう大変なことになる。出かければまっしぐらに目的の店に向かいらんらんと輝く目で商品を見定めていろいろ取り出させて装着具合を確かめ、そして小声で「いくら位」と囁く。
大体男なんてものは見栄っ張りだから思わず思っていた値段の五割増くらいを口走ってしまう。女は満面の笑みを浮かべて最後の品定めに取り掛かる。そして「どっちが良い。」なんて最終選考に残った二点をかざして見せる。大抵は予定した値段の五割増しからさらに上を行く値段のものを選ばされる。そして摩訶不思議な商取引が始まる。
それは「じゃあ、これをください。」と言ったとたんに商品に対する購入者である僕の所有権は消滅してしまって商品購入に対する債務のみが僕に課されることだ。そしてそれ以後まずめったに購入した商品を目にする機会はない。それでも貴金属を手にした時の女の輝く顔が好きでつい買ってしまうのだから男という生き物も好きな女には甘いんだろう。
その晩僕たちはまた豪華な食堂で高価な食器に盛られた普通の飯を食って三人で寝た。人が増えたせいなのかやっぱりクレヨンはかなりハイになっていてはしゃぎまわっていたが、さすがに生活の激変とクレヨンの相手で疲れ果てていたので今晩こそは僕が女土方を囲い込んで早々に眠ってしまった。